18.12.30

今年一年は楽しいことばかりではなく、悲しいことや辛いこともあったかもしれません。ヤコブの妻レアは悲しみを背負う女性でしたが、その悲しみの中でどのように信仰が成長し、悲しみを乗り越えていったのでしょうか。

1.悲しいときにも神様の恵みが十分にある

ヤコブはラバンの娘ラケルを妻にしようとしていましたが、ラバンの計略により、ラケルとともにラケルの姉のレアとも結婚することになってしまいました。当時は経済的事情から、複数の妻を持つということ自体はよくあることでしたが、レアは愛されて妻になったのではなく、欲張りな父に利用されてヤコブの妻になり、しかもヤコブはラケルを愛していたので、レアは夫に愛されない悲しみの中を歩んでいました。

しかし、このような中でも神様はレアを愛し、子どもが生まれるようにしてくださいました。これは神様の恵みが豊かに注がれているということであり、レアにとって素晴らしい祝福です。自分が悲しく辛いときほど神様の力が完全に現れるのです。

ほとんどの人は人生の中で悲しいときや辛いときを経験します。自分が悪いわけではなくても、だれかに騙されて辛い状況になってしまう人もいます。そのとき、人を憎んでも解決はありません。人生を投げやりにしてしまう人もいます。しかし、私たちは、どんなときも神様に愛され、豊かな恵みが十分に注がれていることを覚えましょう。辛い時ほど神様に感謝をささげましょう(Ⅱコリント12:9-10)。

2.すべての悲しみを断ち切って神様を賛美しよう

レアには、まず4人の子供が与えられました。彼女はその一人一人の子供に名前を付けました。その名前はレアの信仰のあらわれでした。

レアの最初の子はルベンです。意味は「息子を見よ」です。「神様が私の悩みをご覧になられた。そして、見て!子供が生まれたのよ」と喜ぶレアの信仰が見られます。悲しいことは変わらないけれど、神様の良くしてくださったことを覚えましょう(詩篇103:2)。

次の子はシメオンです。意味は「聞く」です。「神様が私の苦しみの叫びを聞いてくださった」と神様に感謝する彼女の信仰が見られます。神様は私たちの祈りを聞いてくださっています。私たちも感謝の祈りをささげましょう(ピリピ4:6-7)。
次の子はレビです。意味は「くっつく」です。夫の心が私にくっついてくれることを期待しています。悲しみの中にも主が願いをかなえてくださると希望を持ちましょう(ローマ5:3-5)。

そして次の子のはユダです。意味は「賛美する」です。このとき初めてレアは、夫に愛されない悲しみや妹へのライバル意識から解放され、ただ素直に神様をほめたたえることができました。状況が変わったのではなく、レアの心が変わったのです。「夫に愛されていなくても神様を賛美したい!自分を他人と比べるのもやめよう!」と、レアの心は完全に解放されて、心から神様に賛美をささげることができました。

私たちも悲しいときや辛いとき、心が沈んだり、憎しみに束縛されたり、人生をなげやりにしたりしないで、ただ神様を見上げましょう。イエス様が私たちのために十字架にかかられたことに目を留めましょう。イエス様にとっても十字架の道は辛かったのですが、父なる神様に目を向け、最後まで進んでゆきました(ヘブル12:2)。

3.真の信仰からすべての解決が生まれる

レアがユダを産んだとき、レアはこれまでの悲しみを乗り越えて真の信仰をもちました。そして神様はユダの子孫から救い主イエス様がお生まれになるようにされました。そのことは世界の祝福となりました。

また、妹ラケルは早死にしたため(創世記35:18-19)、ヤコブはレアと長い間、仲睦ましい夫婦として生活しました。ヤコブが死ぬとき、先祖たちの眠るヘブロンに自分を葬ってくれという遺言をしました(創世記49:29-31)。これはラケルの眠るベツレヘム・エフラテではなく、レアの眠るヘブロンという意味でもありました。このように、レアはヤコブにとって最愛の妻となったのです。それはレアが悲しみを乗り越え、真の信仰をもって神様を賛美したからなのです。

私たちも今年一年、悲しいことや辛いこともあったとかもしれません。そのため心が沈んでいたり、信仰が弱っていたり、祈ってもなかなか解決できないと嘆いているかもしれません。しかし、主に目を向け、心を入れ替え、それらの悲しみ苦しみから解放されて、ただ神様を賛美することならできるのです。その信仰を神様は待っておられます。私たちもレアのように真の信仰をもって悲しみを乗り越えましょう。それは神様が喜ばれることであり、それによって神様の私たちに対するご計画が動き始め、やがて、私たちの人生は大きな喜びに変わるのです。