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およそ2000年前、ユダヤのベツレヘムで、羊飼いたちが野原で羊の番をしていました。すると突然、御使いたちが現れ、救い主がお生まれになったという素晴らしい喜びのメッセージを彼らに伝えました。それは私たちにとって、どれほど素晴らしいことなのでしょうか。また、どうすればその素晴らしい喜びを私たちも体験できるのでしょうか。みことばから学びましょう。

1.素晴らしい救い主イエス

御使いは救い主の誕生を教えてくれました。救い主はギリシャ語でソーテールと言い、困難の中にある人を助け出してくれる方です。その救い主は「主キリスト」だと御使いは告げました。「キリスト」とはヘブライ語で「メシヤ」、日本語で「油注がれた王」です。このメシヤが出現することは、永遠の昔からの定めでした(ミカ5:2)。また、そのメシヤがどのような方であるかも預言されていました(イザヤ9:6)。旧約聖書の預言によるとメシヤは不思議な助言者で、力ある方です。私たちを導き、助け、いやし、とりなしてくださいます。メシヤは、私たちのために犠牲となってくださる方です(イザヤ53:5)。そのメシヤが救い主イエスです。イエスは私たちの罪のために十字架で犠牲となられました。私たちがイエスを信じるなら、私たちのすべての罪は赦されるのです(ヨハネ3:16)。

2.主イエスを求めて生きていく

羊飼いたちは御使いたちの知らせによって、救い主についての情報を聞きました。「今日、ダビデの町で救い主キリストが生まれた」、「布にくるまれ、飼葉桶に寝ておられるみどり子」ということを教えてもらいました。情報はこれだけでしたが、彼らはこのメッセージに大変驚き、喜びました。羊飼いたちは、救い主について、わずかな情報しかもっていませんでした。見つけられない可能性もあったでしょう。それでも彼らは出かけていきました。なぜなら、御使いたちが言っていることを信じたからです。そして救い主を見つけたとき、聞いて信じたことが現実であることが分かったのです。その時、彼らはあまりにもうれしくて、周りの人々にも喜びを分かち合いました。

素晴らしい喜びの知らせを聞いても、それだけで何もしなければ、喜びはその時だけで終わります。行動しなければ、すぐに忘れたりして感動も続きません。結局なんの意味もなくなってしまいます。しかし、もしその知らせを聞いて、その事実を見るため、体験するために行動するなら、その素晴らしい情報はその人に実現するのです。素晴らしい喜びを実際に体験することで、もっと大きな喜びを人生ずっと体験できるのです。

私たちも救い主イエスについて、わずかなことだけしか聞かされていなかったとしても、救い主が素晴らしい方であることを聞いて、信じたいと思ったなら、救い主イエスについて、もっと求めてみようと行動することが大切です。イエスの教えを聞いたり、深く考えたり、イエスの御名によって祈ったりして主イエスを求めて生きていくことが大切です。

そのような歩みの中で、主が祈りを聞いてくださったり、不思議なアドバイスを与えてくださったり、不思議な御業を体験させて下さったりするのです。こうして、本当に主イエスが生きて働いている神であることを知るのです。

3.御言葉を実行して歩む

羊飼いたちは、主が知らせてくださった「出来事」を見て来ようと言って、出かけていきました(ルカ2:15)。この「出来事」のギリシャ語はレーマであり、「神のことば」を意味します。

羊飼いたちは、御使いから聞いた神の御言葉を信じただけでなく、探し求めました。私たちも神から受けた御言葉を体験できるように、求めていきましょう。そのとき、御言葉が本当にその通りだということを体験できるのです。みことばを聞いて実行する人は岩の上に建てられた家のように揺るぐことがありません(マタイ7:24-25)。

まとめ

羊飼いたちは救い主イエスを求めて歩き回りました。大勢の旅人でごった返している町に、一人の赤ちゃんを見つけることは大変なことです。しかし、ついに救い主を見つけることができました。彼らがたどり着けたのは偶然ではなく、彼らの力でもありません。主に導かれたからです。

もし私たちがイエスを求めて歩むなら、神に導かれるのです。ですから、教会に来て主のみことばを聞き、学び、主に信頼して歩むなら、主もまたともにいて守り、導いてくださいます。そして、私たちは主イエスが本当に素晴らしい救い主であることを体験できるのです(エレミヤ29:11-14)。

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