博士たちのキリストを求める旅
---主を求め続けよう---
マタイ2:1-12

211226
博士たちは、東の国で、ユダヤ人の王、すなわちキリストの誕生を意味する星を見つけました。彼らはキリストにお会いし、礼拝をささげたいと思い、長い旅に出かけました。この博士たちから、私たちはどのようなことが学べるでしょうか。
1.自分のすべてをかけて、全力で主を求めよう
博士たちは東方でキリストの誕生を意味する不思議な星を見つけました。彼らはキリストに会いたいと心から願いました。この星は多くの人が見たでしょう。しかし、この博士たちだけがそれを心に留め、キリストを目指して旅に出ました。このように、実際にキリストを求めていくこと大事なのです。ただ星を見て、喜んでいるだけでは意味がありません。
彼らは時間的にも労力にも金銭面でも、大きな犠牲を払ってでかけました。しかし、キリストがお生まれになったことは、彼らにとって最高の喜びでした。キリストにお会いすることは、どんな犠牲よりも価値がありました。
私たちは、聖書を通してイエスが神の御子・救い主キリストであることを知りました。また、私たちは、主イエスの犠牲により、神の国の相続者となりました。これは、人生のすべてをかけるほどの値打ちがあることなのです(マタイ13:44)。博士たちのように、どんな犠牲を払ったとしても、日々、熱心に救い主キリストを求めましょう。
2.途中であきらめない信仰を持とう
博士たちが旅に出たころは、その星はもう見えなくなったのでしょう。しかし、博士たちはエルサレムに行けば救い主に会えると信じ、旅をあきらめずに続けました。途中、困難を乗り越え、旅を続けました。あるいは良い町もあり、ずっとそこにいたくなったかもしれません。それでも彼らは主のおられる方向に向かって旅をつづけました。彼らはエルサレムのヘロデ王の宮殿にまで行きましたが、だれもキリストの誕生を知りませんでした。それでも彼らは旅をやめませんでした。ベツレヘムに行けば会えると教えられ、旅を続けました。
このように、キリストを求める旅には、神からの導きがないように思える期間があります。それでも歩き続けるのが信仰です。神は私たちの信仰を試しておられるのです。イスラエルの人々も、エジプトを脱出した後、約束の地には入れず、ただ荒野を40年も歩き続けました。それでも、約束の地を目指して歩き続けたのです。神はイスラエル人の信仰を試しておられました(申命記8:2)。
私たちもイエスを信じて喜びあふれても、その次には荒野の旅があります。ただ黙って耐える時期があるのです。その耐え抜く力は、信仰であり希望です。信仰は見ていないことを見るものです(ヘブル11:1)。
私たちの人生も旅にたとえられています(ヘブル11:13)。その旅は、主にお会いして、心からの感謝と礼拝をささげるための旅です。博士たちと同じなのです。人生の途中でどのようなことがあっても、悲しんで旅をやめてはいけません。日々主とお会いすることを求めて進んでいきましょう。
3.主は、主を求める者を導いてくださることを覚えよう
主を求め続ける博士たちのために、神は再び星を出現させました。このことから、神は初めから博士たちを導いておられたということがわかります。神を求めるなら、神も近づいてくださいます(ヤコブ4:8)。神を求めて歩くなら、神は見つけられるのです(エレミヤ29:12-14)。
主は、私たちが主を求め続けていることを知っておられます。必要に応じて私たちのために助けを与え、目印を与え、励ましてくださいます。ですから、私たちも主を求め続けていきましょう。必ず私たちは、いつか本当にこの目で主イエスとお会いすることができるのです。救いを達成することができるのです(ピリピ2:12)。
博士たちは、神の導きにより、ついにキリストのもとに導かれ、3つの贈り物をしました。それは、イエスが王であり、神であり、私たちの贖い主であることを示しています。黄金は王に対するささげものです。イエスは永遠の王です(詩篇89:4 )。乳香は焚いて神にささげる香としていました。イエスは人となって来てくださった神です(ヨハネ1:1,14)。没薬は、とくに遺体に塗る香料です。イエスは私たちの罪を負い、十字架で死なれ、それによって私たちを救ってくださいました(イザヤ53:1-6)。
私たちも、このような素晴らしい王を求め続け、礼拝をささげましょう。博士たちのように、途中何があってもあきらめず、最後まで求め続けましょう。必ず主とお会いして、心から感謝し、礼拝をささげる日が来るのです。
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