マタイ2:1-12

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神の温かい愛を感じたり、病気のいやしや不思議な体験など、人はそれぞれいろいろな方法でイエスを信じると思います。その時は神の導きを強く感じても、クリスチャンとして生活し始めた後、どのように歩んだらよいかわからなくなってしまうこともあります。そんなときどうすればよいのでしょうか。御言葉から学びましょう。

1.救い主の星を見つけて旅に出る博士ら

昔、イスラエルの東方、バビロンには、天文学の研究をしているマギーという占星術者たちがいたようです。占星術といっても、現代の人が考える占いとは違い、数学力に優れた天文学者たちです。星の運行を観察し計算し、星とその意味を研究する者たちでした。彼らのことはダニエル書に、バビロンの知者たちとして登場しています(ダニエル4:75:11)。ダニエルは終末のとき、油注がれた君主が来られることを預言しましたが、この知者たちは、ダニエルから、救い主の誕生のことを聞かされていたかもしれません。

その600年後、東方の博士らはユダヤ人の王がお生まれになったことを示す星を見つけました。彼らは、そのユダヤ人の王が、世界を救う偉大な王であるということに気づきました。彼らは異邦人でしたが、何としてもこの王に会って礼拝したいと考えました。彼らは大きな犠牲を払い、準備し、贈り物を用意し、旅をしたのです。

私たちもイエスについて、神の子、救い主であることを聞き、イエスを信じました。イエスを信じ、イエスを求める人生は、聖書で旅にたとえられています。私たちは人生をかけてイエスにお会いするための旅に出ました(Ⅰペテロ2:11)。この旅を途中でやめたりしないで、最後まで歩むなら、最後に神の国でイエスに会えるのです。

博士たちが救い主を礼拝するために旅に出たように、私たちも救い主イエスを求めましょう。主イエスにお会いするための旅に出ましょう。

2.救い主に至る道は聖書にある

彼らは東方でユダヤ人の王・救い主の星を見つけ、ユダヤに向かって旅に出ました。ところがその星だけでは救い主のおられるところがよくわかりませんでした。もしかしたら、その星が見えなくなってしまったのかもしれません。しかし、彼らは旅を続けました。ユダヤに行けば会えるというわずかな知識を持っていたので、博士らはユダヤに行き、エルサレムの宮殿に行きました。しかし、そこでも救い主のことを誰もしりませんでした。ところが、聖書学者たちが聖書の御言葉を教えてくれました。救い主はベツレヘムで生まれると聖書に書かれてあったのです。それで彼らはベツレヘムに向かって旅をつづけました。

聖書には私たちが神の御心に従って生きるためにはどうすべきかが書いてあります(Ⅱテモテ3:16)。聖書の御言葉を学び、その御言葉に従って人生を最後までまっとうするなら、神の国でイエスと会うことができるのです(ヨハネ5:3914:1-6)。

私たちは毎日聖書を読み、そこにある神からの導きを受け取りましょう。毎日聖書から、神のことばを受け取り、御言葉によって歩みましょう(マタイ4:4)。

3.博士らの旅を導いておられた神

博士らがベツレヘムまで来ると、初めの時に現れたユダヤ人の王を示す星が彼らを導き始めました。その星は動いて、イエスのおられるところまで博士らを先導してくれました。こうして博士らは救い主イエスのおられるところまで来て、イエスと会い、礼拝することができました。

星によって博士らを旅へと導いたり、救い主のところへと導いたりしたのは神です。博士らの旅をずっと見守り、導いておられたのが神だったのです。私たちも、このイエスを求める旅において、神の御心は何かわからなくなってしまうことがあります。神の導きがないような、何も見えないように思えても神はともにおられます。たとえ不思議な体験がなく、感動を感じなかったとしても、神は私たちを見守っておられるのです。神は私たちとともにおられ、導いておられるのです。神は一人一人の必要に応じて、御手を伸ばし、私たちを助け、イエスを求める旅を導いてくださるのです。私たちはこの旅を成功させ、イエスを求める人生をまっとうしたとき、神の国に迎えいれられ、イエスとお会いすることができるのです。

まとめ

私たちは救い主イエスを与えてくださった神の愛を知ったら、イエスを信じてイエスを求めていきましょう。イエスを深く知るために、また、イエスに従うために、私たちは御言葉を学ぶことが必要です。御言葉は私たちがどう生きれば良いかを教えてくれます。御言葉によってイエスに近づくことができるのです。それだけでなく、必要に応じて、神が私たちのために助け導いてくださるのです。私たちがイエスを求める歩みするとき、神が私たちを見守っておられます。イエスを求める人生は素晴らしいのです。

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