創世18:18-19
25.6.15.
創18:19に、「信仰の父」アブラハムに語られた父親の家庭での務めが述べられている。それは「彼がその子たちと後の家族」に「主の道を守り、正義と公義を行うようになる」こと。神がアブラハムに語られたこの言葉から、父親の務めを学ぶ。
1.主の道を守らせる
父親の務めは、家族に「主の道」を教え、守らせることである。「主の道を守る」とは、「主の御心の内を歩む」、「主の御言葉に従って生きる」ということ。今日、価値観が多様化しているため、何が正しいことなのか、何が間違っていることなのかが分かりにくくなっている。絶対的な正しい基準がないため、それぞれ自分が正しいと思うことに従って生きるか、または周りの人たちに合わせて生きるようになる。しかし、自分や周りの人たちが常に正しいとは限らない。もしかしたら、間違った道を歩んでいるかもしれないという不安定さがある。しかし、主の御言葉は、決して変わることなく、永遠に立つ(イザ40:8)。御言葉は、人生の基準であり、御言葉によって、何が正しく、間違っているか知ることが出来る(詩119:105,130)。イエスは弟子たちに御言葉を守るように教えた(マタ28:20)。
2.正義と公義を行わせる
父親の務めには、子どもたちに「公義と公正を行うようになる」ように命じることもあった。「公義」とは、社会生活をして行く上での道義(正義)、社会正義。「公正」とは、公平で偏っていないこと。「主の道」を守るということは、神との関係において、信仰的に正しく生きるということであることに対して、「公義と公正を行う」ということは、人間関係において、社会的に正しく生きることである。一般社会で正しく生きていくためには、「公義と公正を行う」ことが必要。
まず、社会の最小単位である家庭において、子どもたちに他の人を尊重し、社会のルールを守るよう教えなければならない。子どもは、時々、我がままを通そうとしたり、約束や決まりを破ろうとする。だから、他の人を思いやること、忍耐すること、自己制御することを教えることが必要。子どもの年齢や性格に応じて、小さい頃から愛情をもって、この訓練をする。それは、子どもたちが社会に適応できない自己中心的な人間にならないため。
箴22:6に「若者をその行く道にふさわしく教育せよ。そうすれば、年老いても、それから離れない」とある。ルカ2:52に「イエスは神と人とにいつくしまれ」(第3版「神と人とに愛された」)とある。このイエスの姿が模範であり、子どもたちが「神と人に愛される者」となるように導く。
3.神を愛することを教える
子どもたちに神を愛することも教えなければならない(申6:4-7)。神を愛するということは、神を礼拝するということでもある。ギリシヤ語で「礼拝」は「プロスクネオ」で、「ひれ伏して口づけする」という意味。つまり、礼拝とは、神に対する愛の行為と言える。ダビデ王は、心から神を愛していたので、神を賛美し、礼拝する者だった。ダビデは、神を賛美する様々な楽器を作ったり(Ⅰ歴23:5、Ⅱ歴7:6)、祭司たちによる賛美チームも組織した(Ⅰ歴15:16,25,28-29)。礼拝で大切なのは、音楽や楽器やプログラムではなく、主の臨在すなわち主ご自身。音楽を愛するのではなく、主ご自身を愛し、慕い求めるのである(詩26:4)。Cf.26:4-6。神を愛するためには、神の愛を知らなければならない(Ⅰヨハ3:1)。神の愛は、私たち罪人を救うために、イエスが十字架にかかり、死んで下さったことによって示された(Ⅰヨハ4:9-10)。Cf.ロマ5:6-8。
どんなに、高い教育を受けさせ、良い仕事につかせ、世的に成功させても、子どもたちが主を知り、主を恐れ、主を愛し、主を敬い、主に従うのでなければ、子育てとして重大な欠陥である。父親は、家庭において、祭司としての務めと役割と責任がある。子どもたちに、「主の道を守り、正義と公義を行う」こと、心から神を愛すること、特に神を礼拝することを教えなければならない。子どもは、耳で習うのではなく、目で習う、と言われる。父親は教えるだけではなく、自分自身がその模範とならなくてはなりません。父親自身も、「主の道を守り、正義と公義を」行い、神を愛する者となることが大切。そのように子供たちを教え、導くことによって、主の祝福を受け継ぐ者とさせるのである。
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