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私たちは悲しい出来事を経験すると、その悲しみを誰かにぶつけたくなるものです。そんなとき、どうしたらよいのでしょうか。御言葉から学びましょう。

1.どんな祈りも主は受け止めてくださる

このやもめの息子は重い病気にかかり、彼女は必死に看病しましたが、ついに息子は息を引き取りました。あまりにも悲しくて、彼女はエリヤに怒りをぶつけて言いました。「あなたは私の罪を思い知らせ、私の息子を死なせるために来たのですか。」(Ⅰ列王記17:18)。しかし、このやもめと息子は数年前に飢え死にするところを、エリヤが来たときから生きれるようになったのです。それなのに、このやもめは息子の死の原因がエリヤにあるかのように言いました。これは明らかに間違った思い込みでした。

自分の子供が亡くなることほど辛いことはありません。人間は大きな悲しみを経験すると、その悲しみを誰かにぶつけたくなるものです。私たちの悲しみや怒りを無条件に受け入れてくださる方は主だけです。私たちは主に対してなんでも祈ることができます。その祈りに主が応えてくださるのです(ヨハネ14:13-1415:7詩篇50:15)。

しかし、いつもそうとは限りません。イエスとともに十字架にかけられた強盗の一人はイエスに言いました。「お前はキリストではないか。自分と俺たちを救え。」(ルカ23:39)。しかし、彼の口先だけのことばは聞かれませんでした。それは彼に信仰がなかったからです。

エリヤは祈りの中で「私の世話をしてくれたこのやもめ」と言っています(Ⅰ列王記17:20)。彼女はこれまでずっと粉を捏ねてパンを焼き、エリヤのために食事の世話をしてきました。彼女はエリヤを神の人と信じ、ずっと仕えてきたのです。だから彼女はこんなに強くエリヤに息子の癒しを求めることができたのです。彼女はエリヤに特別に覚えられていたので、エリヤは真剣に彼女の息子が生き返るように祈りました。そして主がそれに応えてくださったのです。

私たちもこのやもめのように、主イエスに仕え続ける者になりたいものです。いつも主を礼拝し、主の御体である教会の兄弟姉妹たちに仕え続けることです。それには報いが伴うのです。

2.怒りや悲しみの問題となっているものを主の御手に委ねる

彼女が自分で息子を抱えて看病している間は、息子の病気は治らず、ついに彼は死にました。しかし、エリヤは彼女の悲しみの元となっている息子を引き渡すように言いました。

私たちは悲しみの元になっている問題を、いつまでも自分でかかえて、自分の方法で何とかしようとします。しかし、自分が抱えていてもどうすることもできないのです。主は私たちにも、悲しみの元になっている問題を引き渡すように言われます。

私たちが怒り悲しみの元となっている問題を主に明け渡すなら、主の方法によって、命が与えられ、復活の勝利が与えられるのです。そのとき私たちは、主のなさることを疑わず、不満を言ってはいけません。主は確実に不思議な御業をなさっておられます。後に素晴らしい神の御業を見て、神をたたえることになるのです。大切なことは、主にお任せするということです。思い煩いを主にゆだねるとき、主が心配してくださるのです(Ⅰペテロ5:7詩篇55:22)。

3.イエスの犠牲によって復活の勝利が与えられる

エリヤは彼女の息子のために祈り、その子の上に3度身を伏せ、「主よ。この子のいのちを返してください」と祈りました。すると息子の霊が戻り、生き返りました。このことは、主イエスの十字架の死と3日目の復活によって、私たちに永遠のいのちが与えられたことを暗示しています。

イエスは自分から、人々の怒りと憎しみをその身に受けました。イエスは鞭うたれ、ののしられ、唾をかけられ、十字架で処刑されました。しかし、イエスは3日目に甦りました。イエスの死によって、イエスを信じるすべての人が永遠の命をもつことができました。また、イエスを信じる者がイエスの御名によって祈ることができるようになりました。その祈りは聞かれ、さまざまな願いがかなえられることになりました。

イエスは私たちの痛み、苦しみ、悲しみを身代わりに引き受けて十字架にかかり、悲しみの代わりに喜びと救いを私たちにもたらしてくださいました(イザヤ53:4-5)。イエスこそ私たちと神との間をとりもつ、神の御子、救い主なのです。

この出来事で、このやもめはエリヤが神の人であり、その言葉が真実であることを知りました(Ⅰ列王記17:24)。私たちも、悲しみ、苦しみ、困難を通して神に祈り、神の御業を体験して神の御言葉を知ることができるのです(詩篇119:71詩篇50:15)。

まとめ

私たちは、苦しみ、悲しみを主にゆだねましょう。そのとき、主は奇跡を起こし、素晴らしい復活の勝利を与えてくださいます。それは御子イエスが十字架の死によって私たちを救ってくださったからです。こうして私たちは神の御言葉が真実であることを知るのです。

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