ヨハネ4:1-42
25.8.17.
私たちはみな、心を満たしてくれるものを求めている。心の満たしは何によって、どのようにして得られるのか。
2.イエスが与えて下さるいのちの水
サマリアの女は、突然、イエスに話しかけられ、驚き、イエスに問いかけた。「あなたはユダヤ人なのに、どうしてサマリアの女の私に、飲み水をお求めになるのですか。」(9) すると、イエスは答えられた。「もしあなたが神の賜物を知り、また、水を飲ませてくださいとあなたに言っているのがだれなのかを知っていたら、あなたのほうからその人に求めていたでしょう。そして、その人はあなたに生ける水を与えたことでしょう。」(10)
ここで、イエスは、サマリアの女に2つのことを知って欲しいと願っている。1つは「神の賜物」で、もう1つは「水を飲ませてくださいとあなたに言っているのがだれなのか」。後者については、第三者的な表現となっているが、これはイエスご自身のこと。すなわち、イエスご自身が誰なのか、どういう者なのか、知ってほしいということ。
まず、「神の賜物」とは、「神の贈り物(プレゼント)/恵み」という意味。そして、それは「生ける水」のことであることが示されている。この「生ける水」とは、「湧き出る水」という意味。英語で”living water”。4:14で、イエスは「わたしが与える水は、その人の内で泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出ます」とも言っている。
では、「神の賜物」である「生ける水」(湧き出る水)、「泉」となる水とは何なのか。ヨハ7:37-38から、それは、「聖霊」のことであることが分かる。イエスは言われた。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおり、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになります。」そして、続く39節でヨハネは「イエスは、ご自分を信じる者が受けることになる御霊について、こう言われたのである」と解説している。
「神の賜物」である「生ける水」である聖霊は、私たちを新しく造り変え、人を「永遠のいのち」に至らせるもの、人に「永遠のいのち」を与えるものということ。では、「永遠のいのち」とは何か。終わりなくいつまでも続く時間か。それは、単に時間的な長さ(量)を意味しているのではない。イエスは17:3で「永遠のいのち」について、次のように語られた。「永遠のいのちとは、唯一のまことの神であるあなたと、あなたが遣わされたイエス・キリストを知ることです。」すなわち、「永遠のいのち」は唯一真の父なる神と御子イエス・キリストを「知ること」。
しかし、この「知る」とは、単に知的に知るというだけではなく、人格的に知ること。すなわち、父と御子との関係、交わりの中で、体験的に知る(味わう)こと。さらに分かり易く、平易に言うなら、「永遠のいのち」とは、永遠なる神と共に永遠に生き、その恵みに与ること。
その恵みとは、喜び、平安、満足など。それは、まるで人間が罪を犯す前のエデンの園での神との関係、交わり。それは、黙示21-22章に記されている「新しいエルサレム」(黙21:2)の姿でもある。そして、それは、「神の国」の姿。したがって、「永遠のいのち」とは、永遠なる神の国で、永遠なる神と共に永遠に生き、永遠にその恵みに与ること。そこには、本当の喜び、平安、真の心の満たしがある。
それゆえ、イエスは言われた。「この水を飲む人はみな、また渇きます。しかし、わたしが与える水を飲む人は、いつまでも決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人の内で泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出ます。」(4:13-14)
「この水」とは、この世のもの、例えば、この世の富や物や楽しみ。それらによって、心を満たそうとしても、一時的に満たされても、決して満たされない。この世の水を飲んでもまた渇いてしまい、決して満足できない。しかし、イエスが与えて下さる「生ける水」、「永遠のいのちへの水」は、常に「泉」のように湧き出て、私たちに本当の喜びと平安と心の満たしを与える。
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