19.8.18.

「異言」は、他の「御霊の賜物」と同様、神から与えられた恵み、贈り物です。しかし、「異言」は、最も否定的に扱われ、避けられている賜物と言えます。それは、「異言」ついての無知によって混乱がもたらされたことによります。パウロは、「異言」を語る際のガイドラインを教えています。

1.異言は神に語ること(Ⅰコリ14:2)

「異言」とは、聖霊によって与えられる言語です。私たちは、どのように祈ったら良いのか、適切な言葉が見つからない時があります。また、どのように神の素晴らしさを表現し、賛美したら良いのか分からない時もあります。しかし、私たちの内におられる聖霊は、その思いをよく分かって下さり、私たちの知性を通さずに、「言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくたさいます」(ロマ8:26)。それが「異言」です。「異言」で祈る時、私たちの知性を通すことなく、私たちの霊が聖霊の助けによって直接神に話すのです(Ⅰコリ14:2)。「異言」の祈りは、知性の言葉を用いないので、私たちには理解出来ません。しかし、神は、私たちの「異言」の祈りを理解して下さいます。

2.異言は私たちの徳を高める(Ⅰコリ14:4)

私たちは、限りある語彙や表現力に制限されることなく、「異言」によって、私たちの願いと思いを神に伝えたり、神への愛、賛美、感謝を表すことが出来ます。こうして、「異言」によって、神との深い交わりを持つことが出来ます。その結果、慰められ、励まされ、信仰が強められ、成長していくことが出来るのです。ですから、「異言を話す者は自分の徳を高めます」(Ⅰコリ14:4)と語られています。「徳を高めます」は、新約聖書の原語であるギリシヤ語で「オイコドメオー」といい、「建て上げる」という意味になっています。私たちは、「異言」によって、信仰を励まされ、強められ、建て上げられるのです。

3.代表の異言の発言には解き明かしが必要(Ⅰコリ14:5,13,27-28)

「異言」は、誰も理解することが出来ないので、教会の集会という公の中で、代表で「異言」で語るように、聖霊によって導かれるなら、「解き明かし」が必要です。「異言」の「解き明かし」は、「異言」の翻訳ではなく、解釈であり、説明です。「異言」が解き明かされることによって、「教会の徳を高める」(14:5)ことが出来ます。すなわち、「異言」の「解き明かし」は、教会の一人一人の信仰を強め、さらにキリストの体なる教会、聖霊の宮である教会を建て上げるものとなるのです。解き明かされた「異言」は、「預言」の役割を果たすことが出来るのです(14:4)。

4.異言を話すことを禁じてならない(Ⅰコリ14:5,18,39)

① 教会では異言を語ってはならないのか

パウロは、「もし解き明かす者がだれもいなければ、教会では黙っていなさい。自分だけで、神に向かって話しなさい」(Ⅰコリ14:27-28)と言いました。このことから、「異言」は個人的なものであるから、一人の時には語ってもいいが、教会の集会という公の場所では語ってはならないと言う人たちがいます。しかし、パウロが禁じているのは、教会の礼拝などの公の集会の中で、「解き明かし」無しで語られる「異言」です。ですから、教会で「異言」を語ることを全面的に禁じているのではありません。

② 異言よりも預言が優っているのか

「もし異言を話す者がその解き明かしをして教会の徳を高めるのでないなら、異言を語る者よりも、預言する者のほうがまさっています」(Ⅰコリ14:5)とあることから、「異言」よりも「預言」の方が優っていると言う人たちもいます。「預言することを熱心に求めなさい」(Ⅰコリ14:3)ともあますから、「異言」よりも優っている「預言」の方を求め、語らなくてはならないと言います。ここで「異言」と「預言」を単純に比較し、その優劣を言っているのではありません。教会の礼拝などの公の集会の中で、「異言」に「解き明かし」がないなら、皆が理解出来る「預言」の方が優っていると言っているだけです。「異言」も「預言」も「御霊の賜物」であり、役割は違っても、優劣の差はありません。

③ 皆が異言を語るわけではないのか

パウロが「みなが異言を語るでしょうか」(Ⅰコリ12:30)と言っていることから、「異言」を語るのは一部の人たちだけであると決めつけてしまう人たちもいます。しかし、パウロは、Ⅰコリ12:28から、「使徒」や「預言者」や「教師」のように、「職務(役目)としての賜物」について語っているのです。ですから、この箇所での「異言」とは、特別な役割の「異言」であって、教会の礼拝などの公の集会の中で、聖霊が「みこころのままに、おのおのに」、誰にでも「分け与えてくださる」(Ⅰコリ12:11) 「御霊の賜物」のことではありません。パウロは、「あなたがたがみな異言を話すことを望んでいます」(Ⅰコリ14:5)と言っています。そして、「異言を話すことを禁じてはいけません」(Ⅰコリ14:39)と明確に命じています。

5.秩序をもって適切に異言を用いる(Ⅰコリ14:40)

パウロは、「自分だけで、神に向かって話しなさい」(Ⅰコリ14:28)と言っています。これは、自分の家で一人だけで「異言」で祈りなさいということではありません。皆で一緒に祈る時などに、一人一人がそれぞれ「異言」で祈りなさいということです。しかし、皆で一緒に「異言」で祈ることは、「初心の者とか信者でない者」(Ⅰコリ14:23)の躓きとなるのではないかと言う人もいます。パウロは、「異言」が躓きとなっていると言っているのではなく、無秩序に「異言」が語られ、混乱していることが躓きとなっていると言っているのです。これは、決して皆で一緒に「異言」で祈ってはならないということではありません。パウロは、「すべてのことを適切に、秩序をもって行いなさい」(Ⅰコリ14:40)と教えています。

 

聖霊の満たしを求め、「異言」の恵みをいただきましょう。