目を覚ましなさい
黙示3:1-6
21.9.12.
アジアの7つの教会の5番目の教会は「サルデス教会」です。主はサルデス教会にどのようなメッセージを語られたのでしょう。
1.七つの御霊と七つの星を持つキリスト(1)
キリストについて、「神の七つの御霊、およぴ七つの星を持つ方」(1)と表現されています。黙1:4でも、「七つの御霊」についての言及があります。「神の七つの御霊」とは、様々な働きをされる神の霊、聖霊を表しています。イザヤは、「主の霊」は「知恵と悟りの霊、はかりごとと能力の霊、主を知る知識と主を恐れる霊である」と言っています(イザ11:2)。つまり、聖霊は「啓示の御霊」であると言えます。Cf.Ⅰコリ2:10-13、エペ1:17。
エペソ教会に対しても、キリストは「七つの星を持つ方」(黙2:1)と紹介されています。黙1:20には、「七つの星は七つの教会の御使いたち」とあります。ここでの「御使い」とは、「教会の指導者」たちのことです。ですから、この「七つの星」は、「七つの教会の指導者」ということです。キリストは、御霊による啓示を教会の指導者たちに与えるお方です。
2.叱責の言葉 : 生きているが死んでいる(1)
主は、サルデス教会に「わたしは、あなたの行いを知っている」と語られました。しかし、良い「行い」ではなく、悪い「行い」で知られる教会だったのです。主は、サルデス教会に「あなたは、生きているとされているが、実は死んでいる」(1)と、厳しい叱責の言葉をかけられました。サルデス教会は、人々からは、「生きている」という高い評価があったのでしょう。すなわち、「生き生きしている、活発に活動している」と。しかし、主は、サルデス教会に対し、「実は死んでいる」と語られたのです。主がサルデス教会の内面、霊的な状態を見た時、死んだ状態だったのです。サルデス教会は、霊的な命のない「死んでいる教会」だったと言えます。ですから、主は、サルデス教会に「わたしは、あなたの行いが、わたしの神の御前に全うされたとは見ていない」(2)と語られたのです。
3.勧めの言葉 : 目を覚ましなさい(2)
霊的に「死んでいる」サルデス教会に対して、主は「目をさましなさい」と語られました。
① 自分の霊的状態を知る
霊的に眠っている人は、自分の霊的状態に気付いていません。自分でも気付かないうちに、信仰の軸がぶれてしまってはいないでしょうか。本当に御言葉に従った歩み、神を第一とした歩みをしているでしょうか。もしからしたら、霊的に危険な状態で、死しにかかっているかもしれません。ですから、主は「あなたがどのように受け、また聞いたのかを思い出しなさい。それを堅く守り、また悔い改めなさい」(3)と語られました。主は、サルデス教会に、もう一度、最初に聞いて信じたことを思い出し、信仰の原点、信仰の基本に立ち返り、それを守り、主を求めるようにと語られました。
② 絶えず祈り主を求める
新約聖書では「目を覚ましている」ことと「祈る」ことは関連付けて語られています。マタ26:41。エペ6:18。コロ4:2。サルデスでは迫害はなく、信仰を守るための戦い、苦しみ、貧しさはありませんでした。またサルデスは裕福な町で、信者たちも町の豊かさの恵みを受けていたと考えられます。このように、平和で豊かであると、祈るということがなくなってしまうものです。祈らなくなり、主との親しい交わりがなくなると、情熱も冷え、形だけの信仰となります。霊的に眠り込み、死んでしまわないためには、祈らなければなりません。祈り、主と親しく交わりの中で、霊的な命と力をいただくことが出来るのです。
③ 再臨を意識した生き方をする
「目を覚ましている」ことと関連付けられているもう一つの事は「再臨」です。天に帰られたイエスは、再びこの地上に帰って来られます(使1:11)。しかし、その日がいつであるかは誰も知りません(マタ24:42)。「目を覚ましている」とは、いつ主が帰って来られてもよいように「用心している」ということです(マタ24:44)。Ⅰテサ5:6には、「ですから、ほかの人々のように眠っていないで、目をさまして、慎み深くしていましょう」と書かれています。Cf.Ⅰテサ5:1-8。「慎み深く」とは、「酒に酔っていない素面の状態」のことを意味しています。この世の富や楽しみに夢中になって、信仰がふらつき、ぶれないようにということです。
4.勝利を得る者に対する約束(4-5)
サルデス教会には、「その衣を汚さなかった者が幾人か」(4)いました。「白い衣」とは、「きよさ」を表します。Cf.黙19:8。霊的に死んだ教会にも、この世のものに汚されず、純粋な信仰を持ち、主と共に霊的に生き生きと歩んでいる信者たちがいたのです。そして、「勝利を得る者は、このように白い衣を着せられる」(5)とあります。「勝利を得る者」とは、「最後まで信仰を守り通した者」のことです。また、ここにも「白い衣を着せられる」と言われています。Cf.黙7:14。この「白い衣を着せられる」とは、キリストの血による贖いによってきよめられ、神の前に「聖なる者とされる」ということです。
また、主は「彼の名をいのちの書から消すようなことは決してしない」と語られました。「いのちの書」に名前が記されている者は、永遠のいのちを持ち、神の国において、永遠に主と共に生きることが出来るのです。また主は「彼の名をわたしの父の御前と御使いたちの前で言い表す」(5)と言われました。主は私たちが天の御国に入る時に、私たちの名前を呼んで下さるのです。Cf.ルカ12:8-9。
絶えず「目をさまし」、主に心を向けて、主を慕い求め、主の再臨を待ち望みましょう。聖霊の助けと力をいただいて、最後まで信仰を守り通し、「勝利を得る者」なり、「白い衣」を着せていただき、永遠に主と共に生きる者とならせていただきましょう。
Filed under: アジアの7つの教会へのメッセージ • 伊藤正登牧師