
19.4.7.
詩篇23篇で、ダビデは、神と私たちの関係を「羊飼い」と「羊」の関係に例えて、「主は私の羊飼い」ですと告白しています。しかし、5節からは「家の主人」と「客」となった「旅人」の話に変わっています。しかし、「羊飼い」なる「主」と「羊」である私たちとの親密な関係は引き継がれています。ダビデは、「羊飼い」なる「主」が私たちのためにしてくれることを、「家の主人」が「旅人」をもてなすことに例えて表現しています。
1.敵の前で食事を整えて下さる
昔は、ホテルなどの宿泊施設はありませんでした。ですから、旅人は、安心して泊まれる家を探さなくてはなりませんでした。また、家の主人も、旅人を受け入れる義務がありました。Cf.ローマ12:13、ヘブル13:2。家の主人は、旅人のために食事を用意し、十分にもてなしました。こうして、旅人は休息を与えられ、必要を備えられ、空腹を満たされたのです。創世18章には、アブラハムが三人の旅人を迎え、彼らのために食事を用意し、彼らをもてなしたことが記されています。
また、家の主人は、迎え入れた旅人をどんなことがあっても保護する責任もありました。その旅人が強盗などの「敵」に追われている場合、家の主人が「この人は私の友人です」と宣言しました。そうすると、追ってきた「敵」は、その旅人に何の手出しも出来ませんでした。「敵」がその家の前まで迫り、中の様子を伺っていても、家の中は全く安全でした。創世19章で、アブラハムの甥ロトは、二人の旅人を自分の家に迎え入れました。すると、ソドムの住民がやって来て、彼らを引き渡すようにと迫って来ました。その時、ロトは、自分の娘を犠牲にしてまで、旅人を守ろうとしました(創世19:8)。
こうして、旅人は安心して泊まれる宿が与えられ、食事が備えられ、「敵」を前にして、安全が保証されました。私たちの人生も旅に例えることが出来、そこには困難や闘いがあります。主も家の主人のように、私たちを迎え入れ、守り、私たちに平安を与えて下さいます。詩篇46:1-3には、主こそ「避け所」であると告白されています。Cf. 詩篇91:4-9。主が私たちの味方となって下さるので、私たちは何も恐れることはありません(ローマ8:31)。
2.頭に油を注いで下さる
家の主人は、客として受け入れた旅人の頭に「油」を注ぎました。それは、大切な客を迎える時の最高のもてなしでした。Cf. ルカ7:46。その「油」とは、良い香りのする「香油」のことで、非常に高価なものでした。旅人は、長い旅をして疲れ果てていました。しかし、香油の良い香りによって、疲れは癒され、精神的にもリラックス出来ました。そして、旅人は、リフレッシュされて、再び旅に出ることが出来たのです。
旧約聖書では、王や祭司や預言者が任命される時に「任職の油注ぎ」がなされました。それは、その務めのために、主からの力が与えられるようになるためでした。しかし、ここでの「油注ぎ」は、「もてなしの油注ぎ」であり、客となった旅人に慰めと励ましを与えるためのものでした。マルコ14:3に「ひとりの女が、純粋で、非常に高価なナルド油の入った石膏のつぼを持って来て、そのつぼを割り、イエスの頭に注いだ」とあります。その時は、イエスが十字架にかかられる前のことです、イエスの心は、悲しみや痛みで張り裂けそうな状態だったことでしょう。しかし、この「ナルド油」によって、どんなにかイエスは慰められたことでしょう。
聖書では、「油」は聖霊の象徴です(Ⅰヨハネ2:20,27)。主は、私たちにも聖霊の「油」を注いで下さいました。それは、「もうひとりの助け主」である「御霊」です(ヨハネ14:16-17)。聖霊は、常に私たちの傍らにおられる慰め主であり、私たちを慰め、励まし、私たちの疲れた心を回復させ、リフレッシュさせて下さいます。私たちは、再び新しく力が与えられ、旅に出ることが出来るのです。イザヤ40:28-31。
3.杯をあふれさせて下さる
家の主人は、旅人をもてなすために食卓を用意してくれます。そこには、ぶどう酒がなみなみと注がれた「杯」がありました。家の主人は、旅人のために惜しみなくぶどう酒を注いでもてなしました。
このあふれる「杯」は、主のあふれる祝福や恵みを象徴しています。主は、私たちにあふれるばかりの祝福と恵み与えようとしておられるのです(イザヤ30:18)。パウロも、主が「あらゆる恵みをあふれるばかり与えることのできる方です」(Ⅱコリント9:8)と言っています。また、主が私たちの「必要をすべて満たしてくださいます」(ピリピ4:19)とも言っています。父なる神は、私たちに御子イエス・キリストをさえ惜しまずに与えて下さいました。私たちに最高の贈り物を惜しむことなく与えて下さった父なる神が、それ以外のものを与えて下さらないことはありません(ローマ8:32)。
主は、私たちを豊かに恵み、祝福して下さるお方です。主は、私たちに必要なものを全て知っておられます。また、どのような状況の中でも、主の恵みは、私たちに十分に注がれているのです。主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である」(Ⅱコリント12:9)と語っておられます。
主は、祝福を与えて下さる「羊飼い」です。どのような状況にあっても、主の元に行き、主との親しい交わりを持ちましょう。主との交わり中で、聖霊による油注ぎを受け、慰めと励ましをいただきましょう。そして、主の恵みと祝福に満ち溢れさせていただきましょう。