18.03.18
祝福を横取りしたヤコブ
創世記27:18-29
イサクの長男エサウは、一杯の食物と引き替えに、長子の権利を弟に売り渡し、神様の祝福を軽んじましたが、弟ヤコブは神様の祝福を求め続け、奪い取りました。こうしてヤコブが祝福されたのです。私たちもヤコブのように神様の祝福を熱心に求めることを学びましょう。
1.神様の祝福を求めよう
ヤコブは弟の身分であり、父の好きな動物の獲物を捕ることもできず、引け目を感じていたことでしょう。しかし、ヤコブは神様の祝福を求め続け、ついに、神様の祝福を受けるために父イサクをだましてしまいました。方法は大変悪かったのですが、神様の祝福を全力で求めたということは、私たちも見習うべきではないでしょうか。私たちもヤコブのように、神様を慕い求めるなら祝福されるのです(詩篇24:5-6)。
ヤベツも辛い境遇に生まれましたが、主に大いに祝福を求めたところ、願いがかなえられました(Ⅰ歴代誌4:9-10)。私たちも主を熱心に求め、祝福を求めていきましょう。
2.神様の祝福はすばらしい
「イサクは彼を祝福し」(創27:27)の「祝福する」ということばは、ヘブライ語のברך(バラフ)「ひざをつく」です。「七日目を祝福し」(創2:3)の「祝福する」もそうです。また、「ひざをつき、そして倒れた」(詩20:8)の「ひざをつく」もそうです。なお、「ひざまずいて礼拝する」(創24:26)は、バラフではなく、קדד(カダド)「曲げる」が使われています。父親が息子を祝福するときは、父親が子供の前にひざをつき、抱き寄せ、頭に手を置くことから、「ひざをつく」が「祝福する」となったようです。
新約聖書のギリシャ語では、「祝福」とは ευλογια(エウロギア)といい、ευ(良い)と λογια(集まり)で、「良いものの集まり」、「たくさんの良いもの」という意味です。
動詞の「祝福する」は ευλογεω(エウロゲオー)は、「たくさんの良いものを与える」ということです。神様の祝福は本当に良いものです。人間の労苦が人を富ませるのではなく、神様の祝福が人を富ませるのです(箴言10:22)。
私たちはイエス様を信じて神様の子供となりました(ヨハネ1:12)。神様の子供としての聖霊を受けました(ローマ8:15)。私たちには素晴らしい天のお父様がおられるのです(ローマ8:15)。その天のお父様が、私たちの頭に手を置いて、たくさんの良いものを与えると約束してくださるのが神様の祝福なのです。
3.神様の祝福を受ける方法
①礼拝する
ヤコブは父イサクから祝福を受けるために、母リベカが用意したヤギの肉料理を父親にささげました。私たちも神様が用意してくださった神の小羊・イエス様の御名によって神様を礼拝するとき、神様は喜んで下さり、私たちは祝福されるのです(詩篇134:1-3)。
②信仰によって歩む
ヤコブは兄エサウと違って神様の祝福には価値があることを信じていました。その信仰によって、神様がアブラハムに与えた祝福を受け継ぐことができました。私たちも、信仰によってアブラハムの子孫となりました。信仰によって歩むなら、祝福を受けるのです(ガラテヤ3:6-9)。什一献金をすることも信仰の現れであり、祝福されます(マラキ3:10-12)。
③イスラエルを祝福する
ヤコブ、すなわちイスラエルを祝福する者は祝福されます(創世記27:29)。私たちもイスラエルを祝福し、彼らの必要に応える者となりましょう。
杉原千畝元外交官は、ナチスの迫害を逃れて路頭に迷うユダヤ人たちの姿を見て、哀歌2章のことばが心に響き、国の命令を破ってでも命のビザを発給し、約6千人以上のユダヤ人を救いました。彼の業績は世界中でたたえられています。
エサウは神様の祝福を軽んじ、自分中心で生きていましたが、私たちはヤコブのように神様を求め、神様の祝福を何よりも素晴らしいものとして求め続け、神様からの祝福をいただきましょう。
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