
200726
世の終わりになると疫病が流行ったり飢饉になったり、地震が起きたり民族紛争があり、戦争のうわさを聞くとイエス様が言われました。今の世界は新型コロナだけでなくエボラ熱やたくさんの疫病が流行りだしています。またバッタの被害で飢饉も起きています。これらは終末の始まりですが、本当に恐ろしいのは患難時代と呼ばれる主の裁きの7年間です。しかし、私たちは主イエス様によって御元へと引き上げられ、守られるのです。それは携挙と呼ばれるものです。
この携挙と同じような経験した人がいます。それはエノクです。今日はエノクの生き方を通して、なぜエノクが主の御元へと引き上げられたのかを学びましょう。
1.主の御元に引き上げられたエノク
エノクの素晴らしい体験は、神が彼を取られたということです。彼は死を経験しないで、神の御元に引き上げられました(ヘブル11:5)。彼は死を経験しなかっただけでなく、後に起こる大洪水を経験しませんでした。大洪水は地上の人々に対する神の裁きであり、エノクは神の裁きから守られたのです。
そして、このエノクの経験したことと同じようなことが、私たちの時代にも起こるといわれています。それが携挙と呼ばれる空中再臨です。ただし携挙については、いくつかの説があります。一説では、患難時代の前にあると言われ、それは間近であると言われています。
その携挙の時、主が空中まで来られ、一瞬にして私たちは朽ちない体に変わり、主が私たちを御元へと一挙に引き上げてくださるのです。そして、私たちは空中で主と会います(Ⅰテサロニケ4:16-17)。この「一挙に引き上げられる」は、ギリシャ語のharpazo(ハルパゾー)で、「ひっつかむ、奪い取る」です。このハルパゾーは、エノクの経験した「神が彼を取られた」(創世記5:24)の「取られる」、ヘブライ語のLaqachラカフ「つかむ、取り去る」と同じ意味なのです。
そのとき地上では7年の患難時代となります。患難期には地上に大災害が起こり、反キリストが地上を支配し、そして天変地異によって多くの人が亡くなります。そして患難時代の最後に主が幾千万の聖徒たちを引き連れ、戦いのためにこの地上に帰ってくることを、エノクは預言しました(ユダ14、参照:マタイ24:30-31ほか)。これが地上再臨であり、顕現とも呼ばれています。主はエルサレム郊外のオリーブ山の上に立ち、神に敵対する地上の勢力を一掃されます。そしてこの地を治めてくださるのです。
ですから、私たちは主にお会いする日が近づいているのですから、その準備をしていかなければならないのです(Ⅱペテロ3:14、Ⅰテサロニケ5:23)。
2.主に会う備え・・・神とともに歩む
この素晴らしい携挙にあずかったエノクは、神とともに歩んだと書いてあります(創世記5:24)。神とともに歩むとは、どのような歩みでしょうか。
a.神を信じ神に従う
エノクは神を信じる家系に生まれたので、家族とともに神を礼拝していたことでしょう。しかし、65歳で子供が生れたとき、神とともに生きることを始めました(創世記5:24)。おそらく、それまでは、普通の人とあまり変わらない生き方をしていたのかもしれません。しかし、このときから自分から神を求め、神に従う人生に変わったのです。
神を信じるということは、信じるだけではなく、信じていることが実際の行動に現れ、生活に現わされることが大切です。私たちは神の御前に正しい行いをしましょう。自分に神を従わせるのではなく、自分が神に従うのです。たとえば、悪い行いは捨てて、誠実を愛し、へりくだって御心に従うことが大切です(ミカ6:8、エペソ5:7-9)。
b.自分を神にささげる
エノクというヘブライ語は、「新しいことにを始める」、「献身する」という意味があります。
この時代の人々は自分勝手に欲望のままに生きていましたが、エノクはこの世と調子を合わせず、神に300年間従いました。この間、さまざまな困難もあったことでしょう。それでも神に従い通しました。神の御心に従って歩むためには自分を神にささげることが必要です。これは神への献身なのです(ローマ12:1-2、ルカ9:23)。
彼の真実な信仰は神を大変喜ばせていました(ヘブル11:5-6)。私たちも主イエス様に人生をささげましょう。
エノクは地上の人生が終わらないうちに神に取られてしまい、彼の人生は当時の人々の寿命に比べると短いものでした。しかし、寿命の長短は大事なことではなく、神とともに歩む人生こそ有意義で素晴らしいのです。神とともに歩まない、自分勝手な歩みは、どんなに長生きでも不幸せなのです。
私たちも神とともに歩みましょう。自分から神を信じ、神に従い、人生を神にささげましょう。神とともに歩む者を神は喜ばれ、喜んで天に迎えてくださるのです。
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