15.6.21.

神の友アブラハム

ヤコブ2:23

アブラハムは「信仰の父」として尊敬されています。
アブラハムが神様を信じて義と認められ(創世15:6)、
私たち信仰によって義と認められる者の先祖となったからです。ローマ4:12,16
また、アブラハムは「神の友」とも呼ばれています。イザヤ41:8
アブラハムを「神の友」と呼ばせたものは何だったのでしょうか。

1.神様の言葉に従順に従う

神様はアブラハムに「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、
わたしが示す地へ行きなさい」(創世12:1)と語り掛けました。
そして「アブラハムは主がお告げになったとおりに出かけた」(創世12:6)のです。
この時、アブラハムは行き先がどのような土地であるかを知らずに、
自分が生まれ育ち、住み慣れた故郷を出て行きました。ヘブル11:8
それは様々な不安や恐れが伴うことであり、常識的に考えて無謀なことでした。
自分の故郷で静かに余生を送る方が安心で快適だったことでしょう。
しかし、アブラムは「あなたを祝福する」という神様の約束を信じ一歩踏み出したのです。
アブラハムはその行いに現れた信仰のゆえに「神の友」と呼ばれるようになったのです。
アブラハムが「生まれ故郷」、「父の家」を離れるということは、地位や名誉や富も捨て、
唯一真の神様にのみ信頼し、神様に従う人生に入ることを意味しました。
神様は私たちにも自分の心と人生を支配しているこの世の物から決別して、
神様の言葉に従い、神様が約束して下さる祝福の中に生きるように語っておられるのです。
私たちは神様の御声に「はい、主よ」と直ぐに答えて従っているでしょうか。
色々と言い訳を言って拒んだり、従うことを先延ばしにしてはいないでしょうか。
時として理解出来なかったり、納得出来なかったりする御言葉もあるかもしれません。
しかし、アブラハムが神様の約束を信じて従ったように、
私たちも神様の御声に従順に聞き従いましょう。

2.神様との親しい交わりを持つ

アブラハムがカナンの地に入って最初に行なったことは「祭壇を築く」ということでした。
祭壇は神様への供え物である犠牲をささげ、祈り、礼拝するところです。
アブラハムは行く所々で祭壇を築いて、神様に祈りと礼拝をささげていました。
シェケムで(12:7)、ベテルとアイの間で(12:8、13:4)、ヘブロンで(13:18)。
また、彼は神様に祈りをささげていただけではなく、神様の語り掛けも聞いていました。
カルデヤのウル(使徒7:2,3)とハランで(創世12:1-3)、甥のロトと別れた後(13:14-17)、
甥のロトとその家族を救い出した後(15章)、アブラハムが99歳の時(17章)、
ソドムとゴモラのために執り成しをしている時(18章)、イサクをささげる時(22章)。
このように、アブラハムは常に神様との親しい交わりを持っていました。
今日、私たちはイエス様の十字架の血によって贖われ、神様の子どもとされ、
御霊によって神様を「父」と呼べる親しい関係に入れられています。ローマ8:15
聖書は私たちに「絶えず祈りなさい」(Ⅰテサロニケ5:17)と教えています。
私たちも祈ることによって、祭壇を築き上げ、
神様との親しい交わりを持つことができるのです。
アブラハムのように、どんな時にも、神様との祈りの祭壇を築き上げましょう。
そして、神様との親しい交わりを持つ者となりましょう。
親しい友達関係には親しい交わりがあります。
私たちも神様との親しい交わりによって、神様との友情が一層深められるのです。

3.神様に絶対的に信頼する

アブラハムに約束の子どもが与えられ、全てが順調にいっている時、
神様はアブラハムに最愛の一人息子イサクをささげるようにと言われました。創世22:2
その言葉は耳を疑うような、信じられない、受け入れられない残酷で厳しいものでした。
しかし、アブラハムは何の疑いも、躊躇もなく、直ぐに神様の御声に従いました。
それは、アブラハムが神様を絶対的に信頼していたからです。
アブラハムは必ずイサクと共に戻って来ると信じていたのです。創世22:5
この時、アブラハムはたとえイサクを焼き尽くして灰にしてしまったとしても、
神様はイサクをよみがえらせることが出来ると神様を信頼したのです。ヘブル11:19
また、アブラハムは神様がいけにえの羊を用意して下さることを信じました。創世22:8
アブラハムは神様が必要なものの一切を備え、満たして下さると神様を信頼したのです。
アブラハムは神様が指定した場所に着くと、イサクを縛って祭壇の上に置き、
刀を取ってイサクに振り下ろそうとしました。22:9,10
すると、御使いがアブラハムに語りかけ、イサクに手を下すことを止めさせました。
このように、アブラハムは最後の最後まで神様の御声に聞き従い通したのです。
私たちは、どのような中でも神様を信頼し続けることが出来るでしょうか。
困難や問題に直面する時、簡単に「だめだ」とか「出来ない」などと否定的になったり、
不平不満をもらしたり、嘆いたりしていないでしょうか。
アブラハムのように、どんなに現実的に厳しくても、神様を信頼する者となりましょう。

アブラハムは神様の言葉に従順に従い、神様との親しい交わりを持ち、
神様を絶対的に信頼しました。
それゆえに、アブラハムは「神の友」と呼ばれたのです。
私たちもどんな時にも神様の言葉に従い、神様との親しい交わりを持ち、
神様を信頼する時、神様との友情が深められていくのです。
イエス様も私たちがイエス様の言葉に聞き従うなら、
私たちもイエス様の友となれると言われました。ヨハネ15:14
アブラハムのように「神の友」となり、祝福を受ける者とならせていただきましょう。

Filed under: 伊藤正登牧師