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私たちは時々人生に行き詰まったり、生活に行き詰まったりすることがあります。しかし、このまま絶望に落ち込んでもよいのでしょうか。私たち一人一人の人生に対する神の御心を学びましょう。

1.主は私たち一人一人に特別な計画をもっておられる

当時は雨がまったく降らず、多くの人が飢え渇いていました。なんの力もない、このツァレファテのやもめその息子は飢えて死ぬところでした。彼女は、最後の粉と油を料理して、最後のパンを食べて、そして死を待つつもりでした。それが彼女にできる唯一のことでした。せめて息子と一緒に死ねることが、彼女にとって最後の願いであり、彼女の計画だったのです。

しかし、神はこのやもめには、別の計画をもっておられました。それは彼女も息子も生きれる素晴らしい計画でした。その計画とは、彼女がエリヤのためにパンを作り、エリヤを養うことだったのです。人間にとってそれは不可能なことでしたが、神に不可能はないのです。すべてを可能とする神が彼女にそれを命じていたのですが、彼女はそれを知りませんでした。

神は私たち一人一人に素晴らしい計画を持っておられます。たとえ何の力もない人に対しても神は特別な計画を持っておられます(エレミヤ29:11)。神は私たち一人一人のために、神の働き、役割、良い行いをはじめから用意しておられます(エペソ2:10)。

たとえば、パウロは神の民を迫害する者でしたが、神は彼に計画を持っておられました。彼は福音をユダヤ人だけでなく異邦人にも届ける働きが与えられていました(使徒9:15)。創造者は目的をもって一人一人をお造りになったのです。

多くの人が彼女と同じような自分の計画をもって歩んでいるのです。しかし、もうこの先は行き詰まるということが分かっています。それでも、ひと時だけ幸せを感じたいと思っています。でもそれは長くは続きません。しかし、神はもっと素晴らしい計画を一人一人に持っておられるのです(イザヤ55:8-9)。

2.人にはできなくても、神にはできる

彼女は薪を拾っていました。そのとき、ケリテ川からの長旅で疲れ果てたエリヤがやってきました。エリヤが彼女に水を求めると、彼女は貴重な水を持ってこようとしました。しかし、エリヤはパンも求めました。パンはもっと貴重でした。彼女はわずかな粉と油を持っていましたが、それは最後のパンを作る分しかありませんでした。そのパンは彼女とその息子にとって最後のパンだと言いました(Ⅰ列王記17:12)。しかしエリヤはまず自分にパンを持ってくるように頼みました。なぜなら、エリヤは彼女に対する神の計画を知っていたからです。エリヤは、彼女がパンを作り続けることを知っていました。エリヤは神の言葉を伝えました。「主が地の上に雨を降らせる日までは、そのかめの粉は尽きず、そのつぼの油はなくならない。」(Ⅰ列王記17:14)。そのとき、彼女は神の言葉を信じました。エリヤの言った通り、その粉でパンを作り、エリヤのところに持ってきました。

私たちの前には、できないという壁が立ちはだかることがあります。普通の人はここであきらめます。しかし、クリスチャンは神の御声を聞くことができるのです。神は「できる」と言われるのです。神の御言葉に信頼し、行動していくことが真の信仰です。私たちはイエスの御名によって、どんなことでもできるのです(ピリピ4:13)。

3.御言葉を信じて行動するとき、不可能は可能となる

彼女はパンを作り、御言葉を信じて、そのパンをエリヤにささげました。そのとき、本当にかめの粉は尽きず、壷の油はなくなりませんでした。彼女たちは飢饉が終わるまで、その粉と油を使ってパンを作りました。そのパンで、神の人エリヤを助け、また自分と家族を養うことができました。彼女が神の働き人エリヤを助けるために生きるということは、彼女自身の祝福となったのです。自分のために生きることや、自分の計画のために生きる人は行き詰まります。しかし、神の計画に生きる人は不可能が可能となるのです。

まとめ

私たちは様々なことで人生に行き詰まることがあります。自分の計画は一時的な喜びでしかありません。しかし、神が私たちのために立てている計画ははるかに素晴らしいものです。神は私たちの目の前に、神の働きを用意しておられます。私たちにはできないと思っても、御声を聞きましょう。主ができると言われるとき、信仰をもって行動しましょう。そのとき、私たちは神の助けを受け、祝福された人生を送ることができるのです。これこそが神が私たちに用意された神の計画なのです。

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