20.5.17.

イエスは、天に上げられる前に、弟子たちに「全世界」の「すべての」人々に「福音を宣べ伝えなさい」という大切な使命を与えました。イエスが命じられた福音宣教について共に学びましょう。

1.全世界のあらゆる国の人々に : 福音宣教の対象

「大宣教命令(Great Commission)」は、4つの福音書全てに記されています。マタ28:19マコ16:15ルカ24:47-48ヨハ20:21。イエスは、「全世界」の「すべての造られた者」、「あらゆる国の人々」に福音を宣べ伝えるようにと言われました。当時、ユダヤ人たちは、救いはユダヤ人だけに与えられるもので、ユダヤ人以外の外国人である異邦人は、救いから除外されていると考えていました。また、ユダヤ人たちは、異教徒であり偶像礼拝者である異邦人とは、関わりを持たないようにしていました。実際に、初期のエルサレム教会は、ユダヤ人クリスチャンだけで構成されていて、彼らは、ユダヤ人以外の人々に福音を語ることはありませんでした(使11:19)。

しかし、神の御心は、全世界の人々が救われることでした(Ⅰテモ2:4Ⅱペテ3:9)。神がユダヤ人を特別に選ばれたのは、ユダヤ人たちだけを救うためではなく、ユダヤ人たちを通して全世界の人々に福音が宣べ伝えられ、救われるためだったのです。神は、ユダヤ人の始祖アブラハムを選び、アブラハムの子孫であるユダヤ人を通して、「地上のすべての民族」が「祝福される」と約束されました(創12:2-3)。ユダヤ人を通して「全世界」に、福音が宣べ伝えられ、人々が救われるということです。神は、旧約聖書の時代の時から、異邦人たちの救いを願っておられたのです。

神は、全ての人を愛しておられます。神の愛に差別もエコヒイキもありません。そして、全ての人の救いを願って、御子イエス・キリストを遣わして下さいました。イエス・キリストは、全ての人の罪を負って、十字架にかかり死んで下さったのです。このキリストを信じる者は誰でも、みな罪が赦され、救われるのです(ヨハ3:16)。

2.行って福音を伝える : 福音宣教の方法

福音宣教は、「行って」、「伝え」るということが求められています。イエスは「ほかの町々にも、どうしても神の国の福音を宣べ伝えなければなりません。わたしは、そのために遣わされたのですから」(ルカ4:43)と言われました。イエスは、一つの場所に留まって、人々が来るのを待っておられたのではなく、「ほかの町々にも」行って、「どうしても神の国の福音」を宣べ伝えようとされたのです。

「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい」という命令は、イエスの弟子たちだけにではなく、私たち一人一人にも語られています。「全世界」という言葉は、文字通り「世界の全ての国々」という意味です。しかし、「全世界」という言葉を「あらゆる世界」と広い意味でも理解することも出来ます。例えば、家庭、職場、学校、地域、様々な人の集まりも一つの「世界」と言えるでしょう。私たちは、既にそれぞれの「全世界」に遣わされ、「全世界」の中にいるのです。それぞれ自分が遣わされている「世界」の人々に「福音を宣べ伝え」ることが大切です。

そこにいる人々のために祈り続けていれば、必ず福音を伝える機会が与えられます。例えば、神について話したり、自分の証を話したり、御言葉を分かち合ったり出来ます。イエスは、「言うべきことは、そのときに聖霊が教えてくださる」(ルカ12:12)と言われました。一方、福音や証をいつでも語れるように「用意」をしておくことも必要です(Ⅰペテ3:15)。しかし、時には、「語る」よりも、「聞く」ことの方が必要な時もあります。Cf. ヤコ1:19。また、語る言葉よりも、態度や行動の方が多くを語ることが出来る時もあります。御言葉に従い、行いや生き方によってキリストを表すことも伝道です。Cf.マタ5:14-16。福音宣教は、人々が来るのを待っているだけではなく、自分の方から人々のいる所に「出て行き」、「福音を…伝え」なければらないのです。

3.聖霊の力を受ける : 福音宣教の原動力

復活されたイエスが天に帰られる前に命じられたことがもう一つあります。それは、「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい」(使1:4)です。「さあ、わたしは、わたしの父の約束してくださったものをあなたがたに送ります。あなたがたは、いと高き所から力を着せられるまでは、都にとどまっていなさい。」(ルカ24:49)この「父の約束」とは、聖霊が与えられるという約束です(ヨハ14:16)。「もうひとりの助け主」とは、「真理の御霊」(17)すなわち「聖霊」です。

イエスは、「父の約束を待ちなさい」と言われましたが、5節では「もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです」と言われました。「聖霊のバプテスマ」とは、聖霊の中に「浸されること」、「聖霊に満たされること」です。ですから、イエスが弟子たちに「父の約束」を待ち望むようにと言われたのは、「聖霊のバプテスマを受け」、聖霊に満たされるようにと命じられたのです。聖霊に満たされる目的は、「力」を受けるためでした(使1:8ルカ24:49) そして、その「力」とは、イエスの「証人」となるための力です。「証人」と訳されている言葉は、ギリシャ語では「殉教者」となっています。ですから、「証人」とは、「福音宣教のために命をささげた人」のことです。

しかし、ペテロは、はじめから強い信仰を持っていたわけではありませんでした。ペテロは3度もイエスのことを知らないと、否定してしまったのです。しかし、ペンテコステの日に、ペテロは、聖霊に満たされ、変えられました。ペテロは、命がけで福音を宣べ伝え、最後は殉教の死を遂げました。ペテロは、聖霊に満たされて、力強い主の「証人」に変えられたのです。「全世界」の「あらゆる国の人々」に「福音を宣べ伝え」るためには、

聖霊に満たされ、主の「証人」となる「力」が必要です。

 

福音宣教は、私たち一人一人に与えられている使命であり、教会の使命です。今、イエスの召しに応え、自分が遣わされ、置かれている「世界」で、そこにいるあらゆる人々に「福音を宣べ伝え」ましょう。そのために、聖霊の満たしを求め、聖霊の力をいただきましょう。

Filed under: 伊藤正登牧師