20210829
「なぜ私はわざわいの日々に恐れなければならないのか(5節)」ここで詩篇の作者は何を恐れているのでしょうか、それは歴史を問わず全ての者が恐れる死です。まさしく今の時も同じ、災害や感染病による死を私たちは恐れています。「人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得かありましょう(マタイ16:26)」全ての者は死に、滅びゆくのです。そのような終わりの世で、私たちはどのように生きてゆけばいいのでしょうか?
「すべて国々の民よ、これを聞け(1節)」今の時代は、真に仕える者のいない時代、それは真のリーダーのいない時代を意味します。しかし、今こそ真のリーダーが必要な時はありません。聖書は「私たちは神につかえるために生まれてきた」とあります。真の指導者は民を守り導くために、指示、命令を出します。私たちは真の指導者の声(神)を聞いて、つかえていきましょう。
「しかし神は私のたましいを贖い出し、よみの手から私を奪い返してくださる(15節)」私たちは十字架の贖いのわざにより、死から贖われ、永遠の命を得ました。それだけではなく「キリスト・イエスとともに天上に座らせてくださいました(エペソ2:6)」とあります。イエス様と共にとりなしの祈りをする者としてくださったのです。
「人は栄華のうちにあっても悟ることがなければ滅び失せる獣に等しい(20節)」たとえ大金持ちになっても、生きることの意味を知らなければ「猫に小判(pearls before swine:豚に真珠)」、空しいものです。私たちの財や、この身も神に捧げましょう。「私にとって生きることはキリスト、死ぬことは益です(ピリピ1:21)」
Filed under: その他の説教者 • 藤木隆師
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