ルカ1:26-38、マタイ1:16-25

24.12.8.

イエス・キリストは処女マリヤから生まれた。だから、イエス・キリストの誕生は、「処女降誕」と言われている。この処女降誕は、どのようにして起こったのか。また、どのような意味があるのか。

1.マリヤとヨセフへの告知

① マリヤへの告知(ルカ1:26-34)

ナザレという町にマリヤという娘(処女)がいた。マリヤには、ヨセフという婚約者がいたが、二人はまだ結婚していなかった(26-27)。ある日、御使いガブリエルがマリヤに現れ(28)、驚くべきメッセージを伝えた。「こわがることはない。マリヤ。あなたは神から恵みを受けたのです。ご覧なさい。あなたはみごもって、男の子を産みます。名をイエスとつけなさい。」(30-31) そして、マリヤから生まれる「男の子」が「いと高き方の子」(神の子)と呼ばれ、「ダビデの王位」が与えられた旧約聖書で約束された「キリスト」(メシヤ)であり、やがて「ヤコブの家」(イスラエル)を永久に支配し、神が支配する「その国は終わることがありません」ということも語られた(32-33)。結婚していないマリヤに神の御子キリストが生まれるということは驚くべきことだった。

② ヨセフへの告知(マタイ1:16-19)

ヨセフは、マリヤが婚約中にも関わらず妊娠していることを知ってかなり悩んだ(18)。結婚前にマリヤが妊娠してしまったということは、大きな問題だった。当時の社会では、結婚前に妊娠することは、不貞の罪を犯したとみなされ、最悪の場合は死刑にもなることだった(申22:20-24)。そこで、「夫のヨセフは正しい人であって、彼女をさらし者にはしたくなかったので、内密にさらせようと決めた。」(19)。それは、マリヤが裁かれ、死刑になることを防ぐためだった。婚約関係がなければ、不貞の罪に問われることはなく、マリヤの命は助けられた。

2.聖霊によってみごもる

マリヤは御使いガブリエルに尋ねた。

「どうしてそのようなことになりえましょう。私はまだ男の人を知りませんのに。」(ルカ1:34) この「どうして」とは、「なぜ(Why)」ではなく「どのように(How)」という意味。マリヤは、御使いが告げたことを否定的に受けとめて疑ったのではのではなく、肯定的に受けとめて期待した。御使いは言った。「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。」(35) 「聖霊」が臨む時、「神の力」に覆われるということだった。Cf.使1:8。すなわち、マリヤの妊娠は、人間的方法や力によるのでなく、「聖霊」が臨み、「神の力」が働くことによるということだった。さらに御使いは、高齢で不妊の女エリサベツが奇跡的に妊娠したことを例にあげて、「神にとって不可能なことは一つもありません」と語った(ルカ1:36-37)。Cf.ルカ18:27。聖霊が臨み、神の力が働かれることによって、不可能は可能になる。

一方、ヨセフはマリヤのことで心を痛めていた。「彼がこのことを思い巡らしていたとき、主の使いが夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ。恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊によるのです。」」(マタ1:20) ここでも、マリヤの妊娠が人間的な方法になるものではなく、神の霊である聖霊によるものであることが語られている。

3.処女降誕が示すこと

① イエスは旧約聖書に預言されていたキリストである

マタイは、「このすべての出来事は、主が預言者を通して言われた事が成就するためであった」(マタ1:22)と語っている。「「見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。)」(マタ1:23) この「預言者」とはイザヤ7:14だった。「それゆえ、主みずから、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ。処女がみごもっている。そして男の子を産み、その名を『インマヌエル』と名付ける。」処女から生まれた者は、唯一イエスだけ。ですから、処女降誕は、イエスが旧約聖書に預言されていたキリストであるということを証明するものとなった。

② イエスが罪のないお方であることを示す

マタ1章には、「イエス・キリストの系図」が記されている。16節のイエスの父ヨセフまでの書き方は、「父○○に息子○○が生まれ」となっているが、ここには「マリヤの夫ヨセフが生まれた」とあり、マリヤとヨセフの関係が言及されている。しかし、「キリストと呼ばれるイエスはこのマリヤからお生まれになった」とあり、イエスが父ヨセフと血の繋がりがないことが示されている。このことは、イエスがアダムの罪を引き継ぐことなく、罪のない者であったということ。アダムが罪を犯して以来、罪が父から子へと引き継がれるようになった。すなわち、人類はみな、アダムの罪を引き継いで生まれた(ロマ5:12,17,19)。だから、全ての人が生まれながらに罪人となってしまったのである(ロマ3:10)。しかし、イエスは、父を通すことなく、処女から生まれることによって、罪の性質を引き継ぐことなく、罪のない者となることが出来た。

③ キリストが人となった神であることを示す

人間は、母の胎に妊娠した時から、人間として存在が始まる。イエスの場合は、マリヤの胎に妊娠した時から存在したのではなく、神として世界の始まる前から存在していたのである(ヨハ1:1-3,14)。イエスは、神であり、世界の初めから存在しておられた(コロ1:15-17)。私たちを罪と死(滅び)から救うため、人間となってこの世界に来て下さった(ピリ2:6-8)。世界の始まる前から神として存在していたイエスは、私たち人間を救うため、聖霊によって処女マリヤの胎に宿り、人間として生まれて来て下さった。処女降誕は、神が人となって来て下さったことを示すもの。

まとめ・結論

イエスが私たちの罪を負うためには、罪のない聖い存在でなければならなかった。イエスが十字架にかかって死ぬためには、肉体を持った人間でなければならなかった。これら相反する二つのことを同時に実現させたのが処女降誕だった。イエスが十字架の上に死んで、私たちの罪を贖い、私たちを罪と死から救い出すためには、100%神であり、100%人でなければならなかった。それゆえ、処女降誕は、私たちの救いと信仰の土台であると言える。イエスは、聖霊によって、処女マリヤからお生まれになったゆえに、私たちのために完全ないけにえとなり、完全に贖いを成し遂げられた。イエスのご降誕を心から感謝しましょう。私たちを救うために来て下さったイエスを私たちの心と人生に迎えよう。

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