Ⅰコリント10:1-14

2023.07.02

ペンテコステの祭りは主の例祭の一つで、神が定めてイスラエルの民に行うように命じたことです。ユダヤ教の3大祭りは、「過越の祭り」、「七週の祭り」(ペンテコステの祭り,聖霊降臨祭)、「仮庵の祭り」です。過越の祭りと七週の祭りは既に成就しましたが、仮庵の祭りはイエスの再臨の時に成就すると言われています。神はモーセを通して、イスラエルの民をエジプトから贖い出して下さり、シナイ山まで導かれました、モーセはシナイ山に上って、主から十戒を受け取りました。また、それだけではなく、幕屋の作り方や様々な戒めと定めを受け取りました。

「エジプト」は「この世」を表し、そこにでは御言葉が与えられていませんでした。「シナイ山」は「律法、戒め」及び「聖霊」を表し、そこで御言葉が与えられました。「荒野」は「幕屋生活」であり、そこでは御言葉と主の臨在がありました。「カナンの地」は人生の実を結ぶところです。人生は、荒野の人生です。しかし、そこには御言葉があり、幕屋には主の臨在があって、昼は雲の柱で、夜は火の柱でイスラエルの民を導きました。

私たちは、見えるところではなく、御言葉を聞くことが大切です。信仰生活は霊的な戦いです。しかし一人ではありません。なぜならば聖霊が私たちの内に住んでおられるからです。私たちは聖霊の宮です(Ⅰコリ 3:16)。

「わたしが聖であるから、あなた方も聖なるものとなりなさい」と、何度も主は命じました。私たちはエジプト(この世)から分離されて、神の民となりました。私たちはイエスの十字架の血潮によって贖われて神の子とされました。だから、神の子として、聖なる者として、イエスと一緒に歩み、日々言葉によってきよめられていくことが大切です。

五旬節の日に聖霊が下りました(使1:8)。ロマ12:1-2。「心の一新」とは「思いの一新」です。「変えなさい」は「変えられ続けなさい」です。サタンは私たちの思いに攻撃し来ますから、偽りに騙されてはいけません。私たちの口を守ること、すなわち否定的なこと、聖書的でないことを言ってはなりません。それらは私たちの霊的成長をさまたげてしまうからです。御言葉を語るのです。

聖霊は火でもあります(マタ3:11-12)。敵である悪魔は私たちの思いに侵入してきて。罪を犯させようとします。それらを聖霊によって探っていただき、その罪を告白して、不要なものを聖霊の火によって焼き尽くしていただきましょう。「態度の罪」は、怒り、反抗心、自己中心、自己正当化等で、「思いの罪」は、嫉妬、肉欲、思い煩い等で、「口の罪」は、噂話、陰口、中傷、批判等です。心に満ちていることを口が語ります(マタ12:33-37)。そして、人はその口にするあらゆるむだな言葉について、裁きの日には言い開きをしなければなりません。

現実は厳しくても、聖霊が共にいて私たちを導いて下さいます。イスラエルの民が神に不平不満を言い滅んでしまったようにならないようにしましょう(Ⅰコリ10:5)。

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