19.6.9.

「ペンテコステ」(五旬節)は、ユダヤ教の三大祭の一つですが、キリスト教会にとって、聖霊が注がれ、教会が誕生した記念すべき日です。

1.父の約束を待ち望む

復活されたイエスは、天に帰られる前に、弟子たちに「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい」(使徒1:4)と言われました。Cf.ルカ24:49。この「父の約束」とは、聖霊が与えられるという約束です(ヨハネ14:16-17)。イエスは、父なる神が「もうひとりの助け主」を送って下さると言いました。その「もうひとりの助け主」とは、「真理の御霊」すなわち「聖霊」です。ヨハネ14:17には、「その方はあなたがたとともに住み、あなたがたのうちにおられるからです」とあります。聖霊は、イエスを信じる者の内に来て下さり、住んでいて下さいます。

しかし、イエスが弟子たちに待ち望み、求めるようにと言われたのは、単なる聖霊の内住ではなく、聖霊の満たしでした。イエスは、「父の約束を待ちなさい」と言われましたが、5節では「もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです」と言われました。「バプテスマ」には「水のバプテスマ」と「聖霊のバプテスマ」の二つがあります。「バプテスマ」とは「沈める」、「浸す」という意味のギリシャ語です。「水のバプテスマ」とは、水に浸されることであ、「洗礼」のことを意味しています。「聖霊のバプテスマ」とは、聖霊の中に「沈められること」、「浸されること」、すなわち「聖霊に満たされること」です。ですから、イエスが弟子たちに「父の約束」を待ち望むようにと言われたのは、「聖霊のバプテスマを受け」、聖霊に満たされるようにと命じられたのです。

2.主の証人としての力を得る

「聖霊のバプテスマを受け」、聖霊に満たされる目的は、「力」を受けるためでした(使徒1:8)。ルカ24:49にも「いと高き所から力を着せられるまでは、都にとどまっていなさい」とあります。そして、その「力」とは、イエスの「証人」となるための力です。「証人」と訳されている言葉は、ギリシャ語では「殉教者」となっています。ですから、「証人」とは、「福音宣教のために命をささげた人」のことです。ペテロやパウロをはじめとした使徒たちは、福音を宣べ伝えるために命をささげました。

しかし、ペテロは、はじめから強い信仰を持っていたわけではありませんでした。イエスが捕らえられる前、ペテロは、決してイエスを裏切らないと言い張りました。しかし、イエスが捕らえられると、ペテロは、イエスを残して逃げてしまいました。イエスがカヤバの官邸で尋問されている時、ペテロ遠くからその様子を見ていました。その時、そばにいた人からイエスとの関係を問われた時、ペテロは3度もイエスのことを知らないと、否定してしまったのです。しかし、ペンテコステの日に、ペテロは、聖霊に満たされ、変えられました。ペテロは、人々の前に出て、恐れることなく、大胆にイエスのことを語ったのです。その後も、ペテロは、命がけでイエスを宣べ伝え、最後は殉教の死を遂げました。

イエスは、復活された後、弟子たちに、「全世界」の「あらゆる国の人々」に「福音を宣べ伝えなさい」と命じました(マルコ16:15、マタイ28:19)。それは、人間的な力で出来ることではありません。聖霊の「力」が必要です。私たちも聖霊に満たされ、主の「証人」となる「力」が必要です。

3.聖霊の満たしを祈り求める

イエスが天に上げられた後、イエスの弟子たちは、エルサレムに帰り、イエスの言葉に従って、「みな心を合わせ、祈りに専念して」(使徒1:14)いました。イエスは復活した後、「四十日の間」(使徒1:3)、この地上を歩まれ、天に上げられました。そして、弟子たちが聖霊に満たされたのは、「五旬節の日」(使徒2:1)でした。ですから、弟子たちが祈っていたのは、約10日間、であったことが分かります。弟子たちは、10日間、聖霊の満たしを求めて祈り続けていたのです。

イエスを信じる者の内には、既に聖霊が内住しておられます(Ⅰコリント3:16)。しかし、みなが聖霊を宿していても、みなが聖霊に満たされているわけではありません。聖霊の内住は、イエスを信じた時に、自動的に与えられますが、聖霊の満たしは、自動的にではなく、求める者に与えられるのです。イエスは、「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる」(ヨハネ7:37-38)と言われました。この「川」という言葉は、ギリシャ語では複数形となっています。ですから、これは「その人の心の奥底から、生ける水」が、「川々」となって、「流れ出るようになる」ということで、聖霊の満たしを意味しています。

イエスは、ご自分の元に来て、聖霊の満たしを求めるように招いておられます(ルカ11:9)。飢え渇きをもって求めるなら、神は惜しみなく聖霊を注いで下さいます(ルカ11:13)。

 

弟子たちが「祈りに専念して」いると、超自然的なことが起これました(使徒2:2-3)。聖霊が目に見えるかたち、耳で聞こえるかたちで、弟子たちの上に注がれ、みな「聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだし」(2:4)ました。「聖霊のバプテスマ」を受け「聖霊に満たされ」た人は「他国のことば」、すなわち「異言」で語ることが出来るようになります。

ペンテコステの祭りのために、エルサレムには、大勢の人々が集まっていました。その日、ペテロの言葉を通して三千人が弟子に加えられ、教会が誕生しました。イエスは、聖霊の満たしを求めるようにと呼びかけておられます。私たちも「聖霊に満たされ」、「力を受け」、イエスの「証人」となりましょう。