
20.3.1
主の祈りの最後の祈りは、「私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください」(13)です。この祈りには、どのような意味があるのでしょうか。
1.悪魔の誘惑に陥らないように祈る
この「試み」は「試練」とも訳されますが、「誘惑」という意味の言葉でもあります。「会わせないで」の「会う」は、「陥らせる」とも訳せる言葉です。ですから、「試みにあわせないで」下さいという祈りは、「誘惑に陥らせないで下さい」という祈りになります。
また「悪」という言葉は「悪い者」とも訳せます。「悪い者」とは「悪魔」のことです。「お救いください」の「救う」は、「自由にする」、「解放する」という意味があります。ですから、「悪からお救いください」という祈りは、「悪魔から解放して下さい」という祈りになります。
悪魔は、聖書では「試みる者」(マタ4:3)とか「誘惑者」(Ⅰテサ3:5)と呼ばれています。悪魔は、常に人間を誘惑しています。このように、「試みにあわせないで」下さいという祈りと、「悪からお救いください」という祈りは、内容的に同じことを言っているのです。悪魔は、私たちをあらゆる方法をもって誘惑し、神から引き離そうとしています。その最終的な目的は、私たちを滅ぼすことです(ヨハ10:10)。Ⅰペテ5:8には「身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています」とあります。しかし、Ⅱコリ11:14に、「サタンさえ光の御使いに変装するのです」とあるように、悪魔と分からないような美しい姿で私たちに近づき、誘惑して来るのです。実際、元々、悪魔は、御使いでした(イザ14:12-15、エゼ28:11-19)。
悪魔は、その人にとって最も魅力的な姿でやって来て誘惑するのです。
巧妙な悪魔の誘惑に対して、私たちは本当に弱いものです。罪や悪への誘いに弱い私たちは、神の守りと助けを祈り求める必要があるのです。
2.誘惑に陥らないために
私たちは、祈るだけではなく、実際に悪魔の誘惑に陥らないようにすることが必要です。
① 御霊に満たされる
誘惑は、私たちの内にある欲望から始まります(ヤコ1:14)。もし、自分の内に何の願望もなければ、誘惑されることはありません。悪魔は、その人の願望、欲望につけこんで誘惑して来るのです。エバにも「賢くなりたい。神のようになりたい」という願望があったのです。イエスが悪魔の誘惑を受けた時も、空腹を覚え、何か食べたいと思っていた時でした。欲望に心が支配されないために、御霊に満たされることが必要です(ガラ5:16)。日頃から、心を主に向け、主を求め、主の臨在に満たされていることが大切です。イエスは「誘惑に陥らないように、目をさまして、祈っていなさい」(マタ26:41)と言いました。
② 真理のみことばに立つ
エバが悪魔の誘惑に負けた原因の一つは、神の言葉を正しく覚えていなかったからです。悪魔は、エバに「神は、本当に言われたのですか」と神の言葉に疑いを持たせ、最終的には「決して死にません」と、神の言葉と全く正反対の偽りを言いました。悪魔は、「偽りの父」(ヨハ8:44)と呼ばれています。悪魔の言葉に耳を傾けてはなりません。イエスは、御言葉を用いて、悪魔の誘惑を退けました。私たちも「御霊の与える剣である神のことば」(エペ6:17)を用いるのです。そのためには、御言葉を心に蓄えることが必要です(詩119:11)。また、御言葉を正しく用いることが出来るように、御言葉の学びも必要です。「真理のみことば」によって、世と欲から「聖め」別けられます(ヨハ17:17)。Cf. 詩119:11。
③ 誘惑となるのを避ける
悪魔の誘惑に打ち勝つもう一つの方法は、誘惑となるものから離れるということです。エバは、悪魔と語り合うべきではなく、その場を離れるべきでした。イエスは、悪魔に対して、「引き下がれ、サタン」(マタ4:10)と命令し、彼を退けました。誘惑と戦おうとすると、かえってその思いに捕らわれ、負けてしまいます。誘惑となるものから離れる、その場から逃げ出すことが大切です。ヨセフは、ポティファルの妻に誘惑された時、その場を逃げ去りました(創39:7-12)。ダビデがバテ・シェバから目をそらしたら、罪は犯さなかったでしょう(Ⅱサム11:2)。自分の注意を何か他のものに向け、興味を他のものに移すのです(Ⅱテモ2:22)。一度関心が何か他のものに移ってしまえば、その誘惑は力を失います(詩119:37)。
この世にいる限り、誰でも誘惑に会うことはあります。聖霊に満たされ、断食の祈りをしていたイエスも、悪魔の誘惑を受けられました。しかし、イエスは、悪魔に屈することなく、罪を犯すこともありませんでした。神は、耐えられない誘惑に会わせることはなく、逃れる道も備えておられます(Ⅰコリ10:13)。悪魔の誘惑に陥ることのないように、悪魔の誘惑に勝利出来るように祈りましょう。また、悪魔の誘惑に陥ることのないように、聖霊に満たされ、御言葉に立ち、誘惑となるものを避けましょう。神は、必ず誘惑に打ち勝たせて下さいます。
この祈りも、単なる個人的な祈りではなく、「私たちを」とあるように、世の中の人々のための祈りでもあります。それは、「御国が来ますように」、「みこころが…行われますように」という祈りの延長にあり、また同時に、これらの祈りの具体的な現れでもあるのです。「御国が来」、「みこころが…行われ」ますようにということは、悪魔の王国が滅ぼされ、全ての悪が取り除かれるということでもあります。「御国が来」、「みこころが…行われ」、悪魔が滅ぼされ、悪が除かれるよう祈りましょう。