Ⅰコリント9:24-27

2024年8月18日

パウロは24節で、人生・信仰生活というのは、走る競技に似ていると表現しています。当時のオリンピックでは、優勝者に月桂樹の冠が与えられたようです。パウロはコリント教会の兄弟姉妹たちに「あなたがたも、賞を受けられるように走りなさい」と勧めています。当時「賞を受けるのはただ一人」(24節)でした。彼らは朽ちる冠(金メダル)を目指しましたが、私たちは朽ちない冠を目指します。

1.信仰のレースがオリンピックと違う点

①(金)メダルは1つではないということです。

金メダル(冠)はたくさん用意されていると思います(Ⅱテモテ4:8)。パウロには義の栄冠が用意されていました。でもパウロだけではありません。主の現れ(主の再臨)を待ち望み、主と共に歩んでいる者にも栄冠が与えられます。

②一緒に競技をしている者はライバルではありません。味方、仲間です。

私たちは皆が完走し、皆でゴールできるために励まし合います。私たちは皆で金メダルを受け取りたいのです。そのためにはイエスから目を離さないで、忍耐して走る続ける必要があります(へブル12:1,2)。

2.勝利するための心構え

①目標(ゴール)を目指して走る

ゴールと目標がはっきりしない歩みがあり得ます。パウロは「的外れの努力をしてエネルギーを無駄にしない」という心構えで生きていました(26節)。魂の救いをひたすらに追い求めました。教会を開拓し、教会を建て上げていくことに人生を捧げました。神を第一として、神の栄光を現わす人生を生きました。神の栄冠を得るために、私たちも目標を目ざして一心に走りましょう(ピリピ3:12-14) 。

②自制する

勝つためにスポーツ選手たちは自制します(25節)。パウロは自分の目指すべき目標に向かってひたらすに前進することを考えていました。そのために、自分の欲望を捨てて、自分の身体を無理にでも従わせるんだ、という強い決意表明をしています(27節)。

 

パウロは「私は信仰のレースを全力で走りきった」と晩年に書いています(Ⅱテモテ4:6-8)。私たちは現在進行形で信仰のレースを走っています。失格者や脱落者にならないように気を付けましょう。最後まで走り続け、ゴールして、神から金メダル(冠)を受け取りたいです。

天での表彰式で、それぞれが金メダルを受け取れるように、走り続けましょう。

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