16.8.7.
霊とまことによる真の礼拝
ヨハネ4:23-24
イエス様は、父なる神様が「霊とまことによって」礼拝する
「真の礼拝者」を求めておられると言われました。
そして、私たちにも「霊とまことによって礼拝しなければなりません」と語っておられます。
1.霊とまことによる礼拝
「霊」と「まこと」は別々のものではなく、同じ一つのことと考えられます。
「霊」すなわち「まこと」という意味です。
「霊とまこと」に対する言葉は、「物」、「肉」、「偽」という言葉です。
ですから、「霊」による礼拝とは、「物」、「肉」、「偽」による礼拝ではないということです。
それは、ユダヤ教のエルサレム神殿における礼拝のことを指しています。
ユダヤ人たちは、エルサレムにある壮麗な神殿で、
律法に従って、動物などのいけにえをささげて、礼拝を行っていました。
しかし、その礼拝は、単なる形だけの礼拝、見せかけだけの礼拝となっていました。
「神は霊です」から、姿形はなく、目に見えません。
この「霊」なる神様を心から礼拝するためには、「霊」によらなければなりません。
人間は、神様に似せて造られ、神様の霊が吹きかけられて生きる者となりました。
ですから、人間も神様と同じように「霊的な存在」です。人間の本質は「霊」です。
しかし、人間は罪を犯してしまったため、神様との交わりが断たれ、
人間の「霊」も死んでしまったのです。すなわち「霊的な死」です。
霊的に死んでしまった人間は、神様も神様の恵みも分からなくなり、
神様を礼拝することも出来なくなってしまったのです。Ⅰコリント2:14。
神様を心から礼拝するためには、「霊」が生きていなければなりません。
私たちが自分の罪を悔い改め、イエス様を救い主として信じ受け入れるなら、
罪が赦され、神様との交わりが回復され、聖霊によって「霊」が生き返らされます(新生)。
霊的に新しく生まれ変わった私たちは、「霊」によって、神様を知り、
神様の恵みに応答して、心から神様を礼拝することが出来るようになるのです。
2.真の礼拝
イエス様は、父なる神様は「真の礼拝者」を求めておられると言われました。
では、「真の礼拝」とは何でしょうか。
① 「礼拝」=「ワーシップ」(英語)
「礼拝」とは、英語で「worship」と言います。
これは「wor」(worthy:価値のある)と「ship」(状態)という言葉の組み合わせで、
「ある対象に価値を帰する」、「価値あるものとみなす」という意味があます。
神様を礼拝するということは、神様が最も価値ある存在であることを表明することです。
私たちは、神様を最も価値あるお方としてあがめ、礼拝しなければなりません。
② 「礼拝」=「プロスクネオ」(ギリシヤ語)
ギリシヤ語では「礼拝」は「プロスクネオ」という言葉が使われています。
これは「頭を低く下げ、または跪いてほめたたえる」、「ひれ伏す」ということです。
・東の国から博士たちは、イエス様の前に「ひれ伏して拝んだ」(マタイ2:11)とあります。
・黙示4:10-11では、24人の長老が「御前にひれ伏して」拝んだとりあります。
神様を礼拝する時、御前で「ひれ伏し」、ただ神様だけを高めなければなりません。
しかし今日、教会の礼拝が、「真の礼拝」からかけ離れた状態になっていないでしょうか。
礼拝において、一番大切なのが神様ではなく自分自身で、自分が恵まれ満たされることや、
自分の願いが実現されることだけを求めるようになっていないでしょうか。
神様が高められることよりも、自分が高められることが中心になっているのです。
3.神様への愛と畏れをもって礼拝する
私たちが「真の礼拝者」として神様を礼拝する者となるためには、二つの姿勢が必要です。
① 神様を愛する
聖書には、神様を愛すことが命じられています。申命6:4-5。
神様を愛するためには、
神様がどれほど私たちを愛して下さったかを知らなくてはなりません。
ヨハネ3:16、ローマ5:8、Ⅰヨハネ4:9-10。
② 神様を畏れる
聖書は、神様を畏れるようにと命じています。伝道者12:13。
神様を畏れるとは、恐怖による恐れではなく、畏敬の念を抱くことです。
③ 真の礼拝ための具体的事柄
神様に対する愛と畏れは、私たちの行動に具体的に表れるものです。
a) 礼拝を守ることを大切にする
礼拝が守れるようなスケジュールを立てましょう。礼拝を生活の中心にします。
礼拝の時間を最優先にして、仕事、家庭、勉強、交際などの時間を配分します。
b) 礼拝に遅れない
礼拝に余裕をもって来、礼拝のために心を備えましょう。
礼拝に遅れて来ると、神様からの恵みも半減してしまいますし、
周りの人たちが神様を礼拝しているのに、それを妨げてしまうことになります。
c) 賛美とメッセージに集中する
礼拝では、神様を賛美すること、祈ること、メッセージを聞くことに集中します。
おしゃべりをしたり、携帯やスマホをしたり、途中で出入りしないようにしましょう。
私たち人間には神様を礼拝することが必要なのです。
私たちが神様を礼拝することによって、神様の臨在の中に入り、神様に触れられ、
神様の霊で満たされ、神様からのお言葉をいただき、霊的な命と力をいただき、
神様の御心に従って生きることが出来るようになるからです。
魚が水の中で生きるように造られたように、
私たち人間は、神様を礼拝して生きるように造られているのです。
「霊とまことによって礼拝」する「真の礼拝者」となりましょう。