2016.09.04.

霊の家で霊のいけにえをささげよう

Ⅰペテロ2:5

この手紙は、AD63年頃、使徒ペテロによって、ローマで書かれたものです。
宛先は、小アジア(現トルコ)北部の教会の異邦人クリスチャンたちでした。
彼らは、異教社会の中で、信仰のゆえに迫害を受けていました。
そんな彼らを励ますために、ペテロはこの手紙を書きました。
その中で、ペテロは、異邦人クリスチャンたちに語りました。
「あなたがたも生ける石として、霊の家に築き上げられなさい。
そして、聖なる祭司として、イエス・キリストを通して、神に喜ばれる霊のいけにえをささげなさい」
この言葉は、今日の私たちにも語り掛けられ、大切なことを教えています。

1.生ける石として霊の家に築き上げられる

まず、ここで語られていることは、
「あなたがたも生ける石として、霊の家に築き上げられなさい」です。
この「生ける石」とは、私たちクリスチャンのことです。
また、「霊の家」とは、「霊的な家」すなわち「教会」のことです。
教会とは、単なる建物のことではなく、クリスチャンたちの集まり(共同体)のことです。
教会は、建物などの物質によるものでないので、「霊の家」と呼ばれるのです。
普通の家が一つ一つの石を積み上げられて建てられていたように、
「霊の家」である教会も、
「生ける石」である一人一人のクリスチャンによって、建てられているのです。
「教会」という言葉は、新約聖書の原語であるギリシャ語では「エクレシア」です。
「エクレシア」とは「召集する」という語の派生語です。
ですから、「教会」とは「神様に召し集められた者たち」のことを意味しています。
神様は、私たちをイエス様の救いに召して下さっただけではなく、
教会にも召して下さったのです。コロサイ3:15。Ⅰコリント12:13。エペソ3:6
ですから、教会を築き上げるために、一つとなるように意志を傾け、
努力することが必要です。エペソ4:1-4
私たちが教会に所属するということは、聖書的であり、神様の御言葉に従うことです。
自分と神様との関係さえしっかりしていれば、教会はいらないというのは、
偏っていて、間違っていて、非聖書的です。
それでは霊的に健全に成長することも、神様に用いられることもありません。
私たちが問われていることは、御言葉に従うか自分の考えに従うか、
神様に従う自分のやり方を通すかということです。
主は、「あなたがたも生ける石として、霊の家に築き上げられなさい」と語っておられます。

2.聖なる祭司として霊のいけにえをささげる

私たちが「霊の家」である教会として、召し集められた目的は、
私たちが共に神様を礼拝するためです。
Ⅰペテロ2:5の後半では、次のように語られています。
「聖なる祭司として、イエス・キリストを通して、神に喜ばれる霊のいけにえをささげなさい。」
ペテロは、異邦人クリスチャンたちを「聖なる祭司」と呼んでいますが、
「聖なる祭司」とは、本来はイスラエルの民のことを指していました。出エジプト19:5-6
イスラエルの民は、400年間のエジプトでの奴隷状態から解放され、
彼らは贖われて、神様のもの、「祭司の王国、聖なる国民」とされ、
神様を礼拝し、神様に仕える特別な民族とされたのです。
それに対して、私たち異邦人は、それとは全く関係のない者でした。エペソ2:12
しかし、私たちもイエス・キリストの血潮によって贖われ、
神様の民とされたのです。エペソ2:13,19。Ⅰペテロ2:9
今、私たちは「霊の家」である教会として召し集められ、「聖なる祭司」とされました。
「祭司」の務めは、神様の前にいけにえをささげ、礼拝をささげることです。
私たちは「聖なる祭司」として「神に喜ばれる霊のいけにえ」をささげなければなりません。
「神に喜ばれる霊のいけにえ」とは、「霊とまこと」(ヨハネ4:23-24)による礼拝です。
「霊とまこと」によるとは、「霊」すなわち「まこと」(真実)による礼拝という意味です。
その礼拝は、エルサレムの神殿で行われていたような、
形式的な礼拝、表面的な礼拝、見せかけの礼拝ではありません。
ユダヤ人たちは、エルサレムにある壮麗な神殿で、
律法に従って、動物などのいけにえをささげて、礼拝を守っていました。
彼らは、型通りに儀式を行っていれば、礼拝を守っていると思い込んでいたのです。
しかし、その礼拝は、心からの礼拝ではなく、単なる形だけの礼拝となっていました。
礼拝とは、単に儀式やプログラムを行うことでも、楽譜通りに歌うことでもありません。
私たちが「霊」によって神様を礼拝する礼拝が、真実な礼拝なのです。
「霊」なる神様を心から礼拝するためには、「霊」によらなければなりません。
そして、そのためには、私たちの「霊」が生きていなければなりません。
私たちの「霊」は、神様の霊、聖霊によって、生き返らされます。
聖霊によって、霊的な回復が与えられ、霊的に生きた者となるのです。Ⅱコリント3:6
そして、神様の恵みに応答して、心から神様を礼拝することが出来るようになるのです。
主は、「聖なる祭司として、イエス・キリストを通して、
神に喜ばれる霊のいけにえをささげなさい」と語っておられます。

礼拝は、教会の中心です。
教会の第一の務めは、神様を礼拝することです。
私たちは、神様を礼拝することを最も大切なこととしなければならないのです。
さらに、礼拝は、私たちクリスチャンの生活の中心にあるべきです。
私たちの信仰生活は、礼拝から始まり、礼拝に至る歩みなのです。
私たちの神様に対する姿勢が、礼拝で表されます。
「生ける石」として、「霊の家」である教会にしっかりと築き上げられましょう。
そして、「聖なる祭司」として「神に喜ばれる霊のいけにえ」をささげましょう。