20.9.13.

聖書は、「主を待ち望む者は新しく力を得」(イザ40:31)ることが出来る、「あなたの若さは、鷲のように、新しくなる」(詩103:5)と約束しています。口語訳では「あなたは若返って、わしのように新たになる」となっています。TEVでは”I stay young and strong like an eagle”(鷲のように若く強くいられる)です。若さを保つためには何が必要なのでしょう。

1.夢や希望を持つ

老人は、過去の思い出の中に生きています。しかし、若者は、将来に対する夢や希望の中に生きています。人生に、夢や希望を抱いて生きるということは、大切なことです。箴言29:18には「幻がなければ、民はほしいままにふるまう」とあります。KJVでは、”Where there is no vision, the people perish”、共同訳では、「幻がなければ、民は堕落する」となっています。「幻」とは「vision」であり、夢や希望のことと言えます。人生に夢や希望、明確な目標がないと、自分の気分や周りの状況に流されてしまい、結局は何も成し得ないで終わってしまいます。

また、夢や希望は、どんな困難な状況の中でも、生きる力ともなります。夢や希望がないと、人は生きていけないのです。人は、年を取るにつれて、夢や希望を持たなくなってしまいます。しかし、どんなに年を取っても、夢や希望を持たなくてはなりません。それが若さを保つための秘訣なのです。

サミュエル・ウルマンという作家は「80歳の歳月の高みにて」で次のように言っています。「若さとは人生のある時期のことではなく、心のあり方のことだ。人は歳月を重ねたから老いるのではない。理想を失うときに老いるのである。歳月は皮膚に皺を刻むが、情熱の消滅は魂に皺を刻む。….人はその信念に比例して若くあり、疑いに比例して老いる。自信や希望に比例して若くあり、恐れや絶望に比例して老いる。」

2.柔軟性を持つ

人は、年を取るほど、自分の考えややり方を固定化してしまいます。そして、自分の考えややり方を変えることが難しくなってしまいます。非順応的になってしまい、自分の考えややり方をなかなか変えようとしません。しかし、若者は心が柔らかく、柔軟性があります。新しい状況や変化に適応し易いです。特に、18歳までの間が最も柔軟で、順応性があります。ですから、聖書は、「若者をその行く道にふさわしく教育せよ。そうすれば、年老いても、それから離れない」(箴22:6)と教えています。また「あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また「何の喜びもない。」と言う年月が近づく前に」(伝12:1)ともあります。実際に、若い時には、心が柔らかく、信仰を持ち易いです。

若者は、御言葉を素直に受け入れる心を持っています。イエスは「子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに、はいることはできません」(マコ10:15)と言われました。「子どものような心」とは、素直な柔らかい心です。信仰を持つためには、素直な柔らかい心が必要ですが、これからの変動する世の中で生きていくために必要なのも柔軟性のある心です。

3.チャレンジ精神(新たなことに挑戦する心)を持つ

年を取ると、新しいものをなかなか受け入れられません。受け入れようとしません。今まで自分が慣れ親しんできたことを変えることは面倒ですし、今までどおりにやっていた方が楽だし居心地が良いのです。しかし、若者は、古くて、堅くて、融通のきかなくなったものに嫌悪感を持ちます。若者は、新しいことに心開き、受け入れ、新しいことを試そうとします。

神がキリストをこの世界に遣わされる時に選ばれたのは、若いマリヤでした。神は、御使いガブリエルを遣わし、マリヤがキリストの母になることを告げました。まだ結婚もしていないのに身ごもるということは、姦淫の罪を犯したと疑われ、石打ちの刑になる危険がありましたが、マリヤは、全てを受け入れて言いました。「どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」(ルカ1:38)

イエスの弟子たちの殆ども、若者であったと考えられています。ですから、イエスが弟子たちに「わたしについて来なさい」と声を掛けられた時、彼らは何もかも捨ててイエスに従いました(マタ4:19-20マコ1:16-20)。弟子たちは若者たちでしたが、イエスのチャレンジに応答し、イエスに従ったのです。そして、弟子たちは、「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい」(マコ16:15)というチャレンジを受け、全世界に出て行ったのです。若さとは、チャレンジ精神、新しいことに挑戦する心を持つということです。

 

「主を待ち望む」とは、主なる神を熱心に求めるということです。主の霊が臨み、力が与えられることを期待し、待ち続けるのです(使1:8)。鷲は、翼をバタつかせて飛ぶのではありません。じっと風の流れを待っています。そして、風が来たら、自分の翼を広げ、上昇気流に乗って一気に空高く舞い上がります。同じように、聖霊の風、聖霊の上昇気流を待ち望むのです。聖霊によって、幻すなわち夢や希望が与えられ、自由が与えられて柔軟性が与えられ、新たなことにチャレンジする力が与えられるのです。聖霊の風に乗れば、自分の力以上の所まで上ることが出来るのです。聖霊に身を任せて、聖霊の力によって歩むなら、疲れることはありません。絶望、古い考えややり方、居心地の良い安全地帯という鳥籠から出て、主を待ち望み、聖霊の風に乗って、新しい世界に飛び出しましょう。