Ⅰ歴代4:9-10

24.1.7.

「ヤベツ」とは、「悲しみ」という意味です。それは、ヤベツの母親が「悲しみのうちに…産んだ」子どもだったからです。この「悲しみ」という語は、10節の「苦しむ」と同じ語です。ヤベツは、生涯、「悲しみ」と呼ばれながら生きてきたのです。しかし、「彼は兄弟たちより重んじられた」(9)とあります。この「重んじられた」は、ヘブル語で「栄光」という意味があります。ヤベツは、「栄光ある者」となったのです。その秘訣はヤベツの祈りにありました。ヤベツが他の兄弟たちより優っていた点は、ヤベツが神を呼び求めたことでした。ヤベツは、熱心に神に祈る祈りの人であったのです。それゆえ、ヤベツの祈りに主は答えて下さり、ヤベツを祝福して下さったのです。

1.私を大いに祝福して下さい-大胆に祝福を求める

ヤベツは、「私を大いに祝福してください」と祈りました。これは、決して高慢で自己中心で貪欲な祈りではありません。むしろ、神の前にへりくだった飢え渇きの祈りです。ヤベツは、自分の知恵や力で、自分の置かれている不幸な境遇を変えようと頑張っても、自分では何も出来ないことを知っていました。それでヤベツは、神だけを頼り、神を呼び求め、神の祝福を切に祈り求めたのです。私たちは、ヤベツのように、神だけを頼りにし、神の祝福を求めているでしょうか。神に頼ったり、神の祝福を求めるよりも、自分で考え、自分の力で何とかしようとしていることはないでしょうか。また、「御心だったら祝福して下さい」、「出来ることなら祝福して下さい」と、消極的な祈りとなってしまっていないでし「私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。」(ヘブ4:16) 私たちも、ヤベツのように、へりくだって神の祝福を大胆に祈り求めましょう。

2.私の地境を広げて下さい-限界を超えられるように求める

ヤベツは、「私の地境を広げてください」と祈りました。ヤベツはいつまでも同じ状態に留まっていることに満足せず、更なる発展を求めたのです。私たちは自己満足に陥ったり、今まで通りでよいと考えてはいないでしょうか。もし、自己満足と現状維持に留まるなら、成長は止まり、次第に衰退し始めるのです。クリスチャンライフは、いつまでも同じ状態に留まっているものではなく、常に上を目指していく歩み、常に新たな領域を拡げていく歩みです(ピリ3:12-14)。ヤベツのように、「私の地境を広げて下さい」と祈り求めましょう。

① もっと神を知ることを求める

神は、私たちが考える以上に偉大なお方です。神について、単に頭の中だけの知識として知るのでは十分ではありません。日々の生活において、神の偉大さと素晴らしさを体験的に知ることが必要です。ホセア6:3

② もっと神の御業が現されることを求める

更に神の大いなる御業を見、体験することが出来るように求めましょう。今まで見たこともないような、聞いたこともないような、考えたこともないような、大いなる御業が現されることを求めましょう。Ⅰコリ2:9

③ もっとクリスチャン生活の領域が広げられることを求める

今まで出来なかったこと、やったことのないことが出来るように祈り求めましょう。「地境を広げて下さい」という祈りは、「限界を超えさせて下さい」という祈りです。いつまでも同じ状態に留まっていることに満足せずに、ヤベツのように自分の領域が広げられ、限界を超えさせていただくよう祈りましょう。

3.御手が私とともにありますように

ヤベツは、「御手が私とともにありますように」と祈りました。聖書には、「主の御手」という表現がよく見られます。申26:8Ⅰ歴29:12Ⅱ歴30:12ネヘ2:8使11:21。「御手」は神の力強い助け、守り、導き、裁き等を表す言葉として使われています。ですから、「御手が私とともにありますように」という祈りは、主が常に共にいて、御力をもって助け、守り、導いて下さるようにという祈りなのです。ヤベツのように、主の力強い御手による助け、守り、導きを祈り求めましょう。

4.苦しむことのないように災いから遠ざけて下さい

最後にヤベツは、「わざわいから遠ざけて私が苦しむことのないようにしてくださいますように」と祈りました。この「苦しみ」は、9節では「悲しみ」と訳されています。この言葉は、ヤベツの名前の由来になった言葉です。この祈りは、苦しみと悲しみの人生を歩んで来たヤベツにとって、切実な祈りでした。人生には、苦しみや悲しみをもたらす様々な災いが起こることは避けられません。しかし、それらの災いから遠ざけられることは可能です。今の時代、何が起こるのか分からない、想定外のことが起こる時代です。このような時代だからこそ、このヤベツの祈りは必要なのです。イエスもマタ6:13の「主の祈り」の中で、「私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください」と祈るように教えられました。

 

「そこで神は彼の願ったことをかなえられた」(10)のです。すなわち、ヤベツは、大いに祝福され、地境を広げられ、主の御手が共にあり、苦しむことのないように災いから遠ざけられたのです。そして、「彼の兄弟たちよりも重んじられ」(9)、栄光を現わす者となることが出来たのです。ヤベツは、ハンディや置かれている境遇に関わらず、神に祈り求めたのです。ヤベツのように、へりくだって、大胆に神の御前に出て行きましょう。ヤベツのように、「イスラエルの神に呼ばわって」(9)祈りましょう。主は、私たちの願いをかなえ、栄光を現わして下さいます。

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