18.11.11.

ヒゼキヤは、衰退してしまった南ユダ王国を立て直すために、神殿礼拝、過越しの祭り、十分の一のささげものを回復させました。それによって、人々の心を主に向けさせ、彼らが主を求め、礼拝するように導いたのです。しかし「これらの誠実なことが示されて後、アッシリヤの王セナケリブが」(32:1)攻めて来ました。私たちが主を求め、主に従って歩んでいても、様々な問題や困難が襲うこともあります。しかし、大切なことは、それに対して、どのように対処するかということです。ヒゼキヤは、どのように対処したのでしょうか。

1.主を求めたヒゼキヤ

ヒゼキヤは、「町の外にある泉」(3)が敵に手に渡らないように、「泉」(ギホン)を塞ぎ(4)、トンネルを掘って水路を造り、「ダビデの町の西側」(30)の池(シロアム)に通しました。更に、ヒゼキヤは、「くずれていた城壁を全部建て直し、さらに、やぐらを上に上げ、外側にもう一つの城壁を築き」(5)、町の守りを強固にしました。また、「彼は大量の投げ槍と盾」(5)などの武器も準備しました。そして、ヒゼキヤは人々に「強くあれ、雄々しくあれ。…大いなる方が私たちとともにおられる」(7)。主は「…私たちを助け、私たちの戦いを戦ってくださる方である」(8)と言って励ましました。
しかし、「アッシリヤの王セナケリブは、その家来たちをエルサレムに遣わして…、ヒゼキヤとエルサレムにいたすべてのユダの人々に向かって」(9)言いました。
・ヒゼキヤは、主を信頼するように言っているが、
アッシリヤから救い出すことの出来た神々はいなかった(13)。
・お前たちの神もお前たちを救うことはできない(14)。
・ヒゼキヤにごまかされるな。ヒゼキヤを信じてはならない(15)。
彼らは、わざと「ユダのことばで大声で呼ばわり、彼らを恐れさせ、おじけさせて、この町を取ろうとした」(18)のです。この言葉に対して、人々は「黙っており、彼に一言も答え」(Ⅱ列王18:36)ませんでした。それは、ヒゼキヤが「彼に答えるな」という「命令」を出していたからです(Ⅱ列王18:36)。悪魔も、私たちに否定的なことを語り、私たちを恐れさせ、失望させ、私たちたちから信仰を奪い去り、私たちを神から引き離そうとしようとします。そのような言葉に耳を傾けてはならなし、答えてもならず、無視しなければなりません。
ヒゼキヤは、「自分の衣を裂き、荒布を身にまとって、主の宮に」(Ⅱ列王19:1)入りました。また、預言者イザヤにも、祈ってほしいと願いしまた(Ⅱ列王19:2-4)。様々な問題や困難が襲って来た時、私たちも主の前に出て、祈らなければなりません。また、他の兄弟姉妹たちにも一緒に祈ってもらうこともできます。

2.ヒゼキヤの祈り

アッシリヤの王は、「再び使者たちをヒゼキヤに送って」(Ⅱ列王19:9)言いました。「神を信じるな。神は救い出せない。どの神々もアッシリヤから救えなかった。」(10-13) ヒゼキヤは、アッシリヤの使者からの手紙を受け取ると、「主の宮に上って行って、それを主の前に広げ」(Ⅱ列王19:14)、祈りました。

① 主を偉大な神としてあがめる
先ず、ヒゼキヤは、主を偉大な神として認め、あがめました(Ⅱ列王19:15)。ヒゼキヤは、敵の脅かしにではなく、主に心を向けたのです。主が他の偽りの神々、偶像とは違い、天地を造られた偉大な神であることを称えました。私たちが祈りにおいてまずすることは、問題だけに心を向けるのではなく、偉大な主を仰ぎ、たたえることです。主がどのように偉大な方であるか、力強い方であるかを思い起こすのです。詩篇121:1-2

② 現状を主に訴える
次に、ヒゼキヤは、アッシリヤの王の言葉をそのまま主に訴えました(Ⅱ列王19:16)。問題を主の前に持って行き、私たちの願いを神に知っていただくのです。ピリピ4:6。勿論、主は、全てをご覧になっておられ、全てをご存知です。しかし、私たちの方から私たちの状況や必要や願いを訴えることが必要なのです。

③ 主の栄光を求める
最後に、ヒゼキヤは、主の栄光が現されることを求めました(Ⅱ列王19:19)。ヒゼキヤが求めたことは、単なる救いではありませんでした。ヒゼキヤは、主の御業が現されることによって、人々が主を知るようになることを求めたのです。単に、自分の願いが実現すること、主の栄光が現されることを求めるのです。マタイ6:9。自分の願い通りにならなくても、主の御心がなされることを求めるのです。マタイ26:39

このように、ヒゼキヤは、アッシリヤの大軍を前にして、主の前に出て、祈りました。主を偉大な神としてあがめ、現状と必要を主に訴え、主の栄光を求めました。私たちも、問題や困難に直面した時、主の前に出て、主を求め、祈りましょう。

主は、預言者イザヤを通して、ヒゼキヤに語られました。
・「わたしに祈ったことを、わたしは聞いた。」(Ⅱ列王19:20) 主は、祈りを聞かれます。
・アッシリヤの王は「この町に侵入しない。…矢を放たず、…これを攻めることもない」(32)。
・「彼はもと来た道から引き返し、この町には入らない。」(33)
・「わたしはこの町を守って、これを救おう。」(34)
そして、その言葉の通り、「主の使い」(35)がアッシリヤの軍勢を打ち破られました。「人々が翌朝早く起きて見ると、なんと、彼らはみな、死体となっていた」(35)のです。何があったかは分かりませんが、アッシリヤの軍勢は一晩で壊滅してしまいました。アッシリヤの王セナケリブは恥じて、自国のニネベに帰って行きましたが、偶像の神の宮で礼拝している時に、自分の息子たちに暗殺されてしまいました(36-37)。アッシリヤは、エルサレムに攻めて来ることはありませんでした。主は、ヒゼキヤの祈りに答え、エルサレムを救われたのです(Ⅱ歴代32:22)。ヒゼキヤは、「主に信頼し」(Ⅱ列王18:5)、「主に堅くすがって離れ」(6)ませんでした。それゆえ、主は、彼と「ともにおられ」(7)、「勝利」(7)を与えて下さったのです。私たちも「主に信頼し」、「主に堅くすがって」、主の前に出て、主に祈りましょう。

Filed under: 主を求め礼拝した王たち伊藤正登牧師