20.6.7.

「喜んでいなさい」は、ギリシヤ語では「喜び続けなさい」となっています。しかし、人生には、嬉しいことばかりではなく、悲しいことや、辛いこともあります。ですから、「いつも喜んでいる」ということは、非常に難しいことです。どうしたら「いつも喜んでいる」ことが出来るのでしょうか。パウロは、その答えとなる言葉をピリ4:4で語っています。「いつも喜んでいる」ということは、「主にあって」可能となるのです。では、「主にあって」喜ぶとは、どういうことでしょうか。

1.主を信じ、信頼し、主に期待して喜ぶ

パウロは、ロマ12:12で「望みを抱いて喜び、患難に耐え、絶えず祈りに励みなさい」と言っています。ここに大切な原則があります。それは、「望み」すなわち「希望」があれば「喜び」を持つことが出来るということです。

では、その希望はどこから来るのでしょうか。どうしたら希望が持てるのでしょうか。自分の置かれた状況や人を見たら失望します。自分を見たら絶望します。しかし、私たちには、現実を見る目だけではなく、神を見る信仰の目が与えられています。私たちが神を見上げる時、すなわち、神がどのようなお方かを覚える時、心に希望が与えられ、喜ぶことが出来るようになるのです。ダビデは「私のたましいは黙って、ただ神を待ち望む。私の望みは神から来るからだ」(詩62:5)と告白しています。私たちの「望みは神から来る」のです。神こそ私たちの希望です。

私たちは、神にどのような希望を持つことが出来るのでしょうか。

     a) 主は私たちに良い計画を持っておられる

主は、私たちの人生に計画を持っており、その計画は「わざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのもの」(エレ29:11)です。

     b) 主は私たちのために全てを益にして下さる

主は、「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださる」(ロマ8:28)お方です。主は、全てを知っておられ、全ての背後に働かれ、全てを導いて益として下さいます。

     c) 主は耐えられない試練は与えず、脱出の道も備えて下さる

主は、耐えられない試練は与えられず、脱出の道も用意して下さいます。「あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。」(Ⅰコリ10:13)

 

信仰の目をもって、主を見上げましょう。主がどのようなお方であるかを思い出し、思い巡らしましょう。主を信じ、主を信頼し、主に期待する時、希望が沸き上がり、喜ぶことが出来るのです。

2.主の臨在の中で喜ぶ

現実の世界の中には、様々な問題があります。仕事上の問題、経済的問題、人間関係の問題、健康上の問題など、問題だらけです。それらの問題に目を向け、心が囚われてしまうと、気持ちが暗くなり、喜べません。しかし、私たちは、この現実の世界の中にいながら、もう一つの現実の世界の中にいることが出来るのです。それは、神の国であり、主が臨在される場所です。そこに喜びがあるのです。ダビデは、「あなたの御前には喜びが満ち、あなたの右には、楽しみがとこしえにあります」(詩16:11)と言っています。この「あなたの御前」とは「主の臨在の中」を表します。英語では、“In Your presence is fullness of joy”(NIV)となっています。

ダビデがこの告白をした時というのは、平穏な時ではありませんでした。1節の「神よ。私をお守りください。私は、あなたに身を避けます」という言葉から、この時、ダビデが危険な状況(現実)の中に置かれていたことが分かります。もしかしたら、サウル王から命を狙われ、荒野を逃げ回っている時だったかもしれません。ダビデは、危険な現実の中にいましたが、それだけではなく、もう一つの現実の中に自分の身を置いたのです。それは、主の臨在です。ダビデは「わたしはいつも、私の前に主を置いた」(詩16:8)と言っています。危険な状況の中でも、ダビデは、常に、主を求め、主の前に出て行ったのです。そして、ダビデは、主が共におられるから、「私はゆるぐことがない」(詩16:8)と言い、「それゆえ、私の心は喜び、私のたましいは楽しんでいる」(詩16:9)と告白しています。ダビデが置かれていた現実は、危険な状況のままでした。しかし、ダビデは、その中でも、主の臨在の中にいたのです。だから、ダビデでは「喜び」、「楽しんでいる」ことが出来たのです。

どのような現実の中にあっても、主の臨在に満たされ、主が共にいて下さることを覚える時、喜びが湧き上がって来るのです。私たちも、苦しみ、悲しみ、悩みの中でも、ダビデのように、主を求め、主の前に出て行き、主の臨在の中に入って行きましょう。

 

 

パウロは、主にある喜びを持つことは、「あなたがたの安全のためにもなることです」(ピリ3:1)と言っています。すなわち、いつも喜ぶことによって、私たちの心や体、生活が守られるということです。いつも悲しみ、いつも文句を言い、いつも怒っていたら、心は病んでいきます。心が病むと体も病み、心と体が病むと人生が病んでいくのです。しかし、いつも喜ぶことによって、心が健康になります。心が健康になると、体も健康になり、健康的な人生を歩むことが出来るようになります(箴17:22)。

人間の性質は、問題や困難があると悪く考えるようになっています。どの様な状況にあっても、喜ぶことを意識的に選び取るのです。思い煩ったり、悲しんだり、つぶやく代わりに、喜ぶことを選び取りましょう。主を信じ、信頼し、主に期待して喜びましょう。主の臨在の中で喜びましょう。いつも主にあって喜びましょう。