マタイの福音書8:18-28

2023年10月1日 

並行箇所のマルコ4:35に「さあ、向こう岸へ渡ろう」と書かれています。主イエスと弟子たちは舟に乗り、ガリラヤ湖の向こう岸を目指しましたが、途中で湖に大暴風が起こって、舟は大波をかぶり(24節)、いつ沈んでもおかしくない状態になりました。このような状況で2つの反応がありました。まずは主イエスの反応です。

1.眠っておられる主イエス

忙しく伝道の働きをしておられたので、主イエスの体は疲れていました。ここに人間イエスを見ます。主イエスは私たちと同じように人間となられたので、私たちに同情できるお方です。私たちの疲れをも知っていてくださいます。しかし、疲れていても、さすがに目の前で大暴風が起こったら、目を覚ますのではないかと思うのですが、主イエスは眠っておられました。ご自身が発した「さあ、向こう岸へ渡ろう」という言葉が必ず実現することを確信していたので、安心して眠っていることができたのです。主イエスは神に信頼し、神の言葉に信仰を置いていました。

2.心配している弟子たち

安心して眠っている主イエスと対照的なのが弟子たちです。彼らは最初、「さあ、向こう岸へ渡ろう」という主イエスの言葉に信仰を置いていました。ですから、弟子たちは主イエスに従って舟に乗ったわけです(23節)。しかし、嵐がやってくると、漁師たちである彼らは自分たちの知識や経験に信仰を置くようになってしまい、不安でいっぱいになり、舟は沈んで死んでしまうかもしれないと恐れました。そして眠っている主イエスに「主よ。助けてください。私たちはおぼれそうです。」(25節)と叫びます。これは不信仰の叫びです。でも同時に信仰の叫びとも言えると思います。主なら自分たちを助けることができると信じていましたので。主イエスは弟子たちに「なぜこわがるのか。信仰の薄い者たちだ」(26節)と言います。弟子たちは信仰はあったのですが、あつい信仰ではなく、薄い信仰しか持っていませんでした。彼らは逆境の中で信仰を働かせることができなかったのです。彼らは主イエスに「あなたがたの信仰はどこにあるのです?」(ルカ8:25)と言われてしまいました。私たちはどこに自分の信仰を置いているでしょうか?

3.向こう岸へ着いた主イエスと弟子たち

主イエスが「さあ、向こう岸へ渡ろう」と言ったみことばは実現し、主イエスと弟子たちは向こう岸へ着くことができました(28節)。神の言葉は必ず実現します。私たちは自分たちの知識や経験に信頼するのではなく、神に信頼し、神のみことばに信仰を置きましょう。そして勇気を持って、主イエスの言葉に従って、「向こう岸」(新しい領域)へ漕ぎ出していきましょう。そうするなら私たちは主のみわざを体験することができます。

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