ルカ7:11-17
2025.5.11
1) 絶望していた母親
ある時、イエスはナインという町に行かれました(11節)。
7章1節を見ると、イエスたちはカぺナウムにいたことが分かります。
イエスはカぺナウムをガリラヤ伝道の拠点にしていました。
11節の「それから間もなく」というのは、1-10節に書かれている百人隊長のしもべの癒しから間もなくということです。カぺナウムからナインまでの距離は約30~40㌔くらいです。
やもめとなった母親の一人息子が死んでしまいました(12節)。
この母親は孤独になり、絶望的な気持ちになっていました。
その息子の遺体が担ぎ出されているところにイエスが来られたのです。
2) 希望を与えたイエス
イエスは、その母親を見て、かわいそうに思いました(13節a)。
絶望していた母親にイエスの方から近づいて行かれました。
イエスは彼女をかわいそうに思われて、「泣かなくてもよい」と言われました(13節b)。
新共同訳では「もう泣かなくともよい」と訳されています。
イエスは棺に近寄って手をかけられました。
すると遺体を担いでいた人たちが立ち止まりました。
イエスは言いました。「青年よ。あなたに言う、起きなさい。」(14節)
すると、何が起こったでしょうか?その死んでいた青年が起き上がり、話し始めたのです。
イエスは生き返った彼を母親に返されました(15節)。
この出来事を見ていた人たちは、恐れを抱き、神をあがめました(16節)。
まさに預言者エリヤの時と同じようなことが起こったのです。
エリヤは神の力によって、ツァレファテのやもめの息子を生き返らせました。
この神のみわざは地方一帯に広まりました(17節)。
3) 復活のからだ
この生き返った青年はこの後、どうなったでしょうか?
聖書には書かれていませんが、イエスを信じたことでしょう。そしてまた死んだでしょう。
しかし、今度は彼には永遠のいのちが与えられていたのです。
イエスは死を打ち破り、よみがえられ、今も生きておられます。
イエスを信じる私たちにも死に打ち勝ついのち、永遠のいのちが与えられています。
私たちの卑しいからだは、栄光のからだに変えられます(ピリピ3:20,21)。
復活したイエスと同じ姿に変えられるのです(ヨハネ20:19,20)
イエスを信じる者に復活のからだ、栄光のからだが与えられます。
そこに私たちの希望があります。
Filed under: 和田一喜牧師

