マタイの福音書 11:28-30

2024年3月10日 

主イエスは「わたしのところに来なさい」と私たちを招いておられます。

1.全ての人が招かれている

主イエスは、「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい」と言われました(28節a)。ここに「すべて」と書かれています。例外はありません。全ての人が主イエスに招かれています。

主イエスの元へ行けば、休息を得ることができます。「わたしがあなたがたを休ませてあげます」と約束されています(28節b)。体が強められ元気になります。心が軽くなります。魂に安らぎが来ます。信仰が引き上げられます。体、心、霊、全ての領域に健やかさが与えられます。

あなたが負っている全ての重荷を主イエスの元で降ろしてください。そうすれば、主イエスが休息を与えてくださいます。

2.主イエスの元へ行く

ルカの福音書15章に放蕩息子の話が出てきます。放蕩息子は父の元を離れ、自分勝手に生活し、心身がボロボロになりました。人生に絶望し、疲れ切ってしまいました。どこにも希望が見えませんでした。そんな中で彼は、我に返ったのです(17節)。そして悔い改め、父の元に帰ろうと決めました(18節)。

父親に受け入れてもらえるだろうかと、放蕩息子は不安だったと思います。しかし、彼は心を決めて、父の元へ帰りました(20節a)。ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は帰って来ている放蕩息子に気付いたのです。そして、かわいそうに思い、走り寄って、息子を抱きしめました(20節b)。これが父なる神の私たちに対する心です。私たちの信じる神は、走り寄る神です。その御腕の中で、私たちは休むことができます。

3.主イエスのくびきを負う

主イエスは心優しいお方です。イエスは「わたしのくびきを負って、わたしから学びなさい」(29節a)、「わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです」(30節)と仰いました。主イエスが要求しているものが軽いという意味ではありません。ある意味重いものです。主イエスに従っていくということは簡単なことではありません。軽いことではないでしょう。しかし、主イエスが一緒に背負ってくださるので、軽くなります。主の招きに応答していくならば、たましいに安らぎが来ます(29節b)。

 

休息と平安を神は私たちに用意してくださっています。だから、主イエスの元へ行きましょう。主イエスは、「わたしのところに来なさい」とあなたを招いておられます。

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