イエスのくびきを負う

マタイ11:28-30

220424

今の時代は多くの人がストレスを感じています。ある人たちは、多忙、将来の不安、失敗に対する恐れや重圧、気遣いなどで精神的に疲れています。肉体の疲れは休息により回復しますが、心の疲れはどうすればよいのでしょうか。御言葉から学びましょう。

1.イエスのもとに行こう

イエスは「疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしが休ませてあげます」(マタイ11:28)と言われました。イエスの平安を得るためには、イエスのもとに行かなければなりません。イエスは疲れた人にたましいの安らぎを与えてくださいます(マタイ11:29)。

私たちは精神的に疲れているときは山に行ったり自然の中をのんびり過ごしたりします。しかし、それは一時的で不完全ないやしなのです。

世の中の与える休息もこのような一時的な休息であり、本当の平安ではないのです。しかし、イエスが与える平安は全く違います(ヨハネ14:27)。心から喜びが湧き上がる平安であり(ヨハネ7:37-38)、完全な永遠に続く平安です(ヨハネ3:166:35)。この人が家についたとき、本当に安らいだように、イエスの与える平安は神のもとに帰ってきた平安です。

人々は安心できる場所を求めています。イエスは心優しくへりくだっておられるので、イエスの元にいることで安心できるのです(マタイ11:29)。

2.イエスのくびきを負おう

多くの人は自分の重荷を負って苦しんでいます。重荷を主の御元に下ろしましょう。思い煩いは主に委ねましょう。主が負ってくださいます(Ⅰペテロ5:7 詩篇68:19)。

イエスが私たちの重荷を代わりに負ってくださるので、私たちは休息を得られるのです(イザヤ46:3-4)。

また、イエスは「私のくびきを負いなさい」と言われました。くびきとは、畑を耕すために、2頭の牛を木枠で組んで、いっしょに進ませる器具です。重荷を下ろしたらイエスのくびきを負い、イエスの荷を担うのです。ただし、イエスのくびきは負いやすく、その荷は軽いのです(マタイ11:30)。

イエスのくびきを負うということは、イエスに従い、イエスと共に歩むことです。自分勝手にではなく、イエスと歩調を合わせて歩むことです。それは楽で心地よいことなのです。イエスを信じて、神に仕えることは、決して苦しいことではなく、楽しいものなのです。

思い煩いも心配も、すべてを主の御元に下ろし、代わりに主のために働く者になりましょう。そうすれば楽になるのです。

3.イエスから学ぼう

イエスは「わたしから学びなさい」と言われました。神のことばは生きています(ヘブル4:12)。イエスこそ神のことばであり、神のことばが闇を切り開く光なのです(ヨハネ1:1-5)。

神のことばを律法学者のように知的に学ぶだけなら、悟ることができないのです。しかし、イエスの弟子たちのように、イエスとともに歩む中で、イエスの言動をよく見て体で学ぶなら、神のことばである真理を深く知るのです。すると本当の自由が得られるのです(ヨハネ8:32)。弟子が師匠の技を盗み取って身に着けるようなものです。イエスが語ったように語り、イエスが行ったように行うことです。

だから私たちはいつも、このような場面では、イエスならどうされるだろうかと考えてイエスのなさったように行うことが大切です。

まとめ

多くの人は、さまざまなストレスや不安や忙しさなどの重荷で疲れています。しかし、イエスの元に行って、重荷を下ろしましょう。イエスが私たちを休ませてくださいます。

そして、イエスとともに歩む中で、御言葉を学び、魂のやすらぎを得ましょう。

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