19.4.21.

イエスは、私たちの罪を身代わりに負って、十字架にかかって死なれ、墓に葬られました。その墓の入口は大きな石で塞がれ、封印がされ、墓の外には数人の番兵が見張っていました。しかし3日目に、イエスはよみがえり、墓から出て来られたのです。

1.イエスの復活の確かさ

イエスがよみがえられたことは、事実ですが、それを否定する様々な説があります。

① 弟子たちが墓を間違えた

墓の場所は、何人もの弟子たちに確認され、何人もの弟子が間違えるはずがありません。

② 弟子たちが遺体を運び去って隠した

墓には封印がされ、番兵が見張っていたので、遺体を運び出すことは不可能でした。弟子たちはユダヤ人を恐れて隠れていましたし、イエスの復活を信じていませんでした。

③ ユダヤ人指導者が遺体を運び出した

もしそうなら、弟子たちがイエスの復活を証言した時、イエスの遺体を提示して反論することが出来たでしょうが、出来ませんでした。

④ 泥棒が遺体を盗んで行った。

泥棒が盗むのは、遺体ではなく、遺体と一緒に墓に納められた副葬品です。また、墓の外には番兵がいましたから、遺体を盗み出すことは不可能です。

➄ イエスは死んでいたのではなく、気絶していたのであって、墓の冷気によって息を吹き返した

イエスの死は、はっきりと確認されました。聖書は、イエスの死を証言しています。それに、瀕死の体で、大きな石を取りのけたり、番兵たちから逃れることは不可能です。

⑥ 弟子たちはイエスの幻覚を見ただけであった

イエスは、弟子たちに6週間で11回、500人以上の人々の前にも実際に現れました。またイエスは、十字架にかけられた際の傷跡を示し、焼き魚を食べました(ルカ24:41-43)。

⑦ 弟子たちがウソをついた

弟子たちは、迫害を受けながらも、命がけでイエスの復活を証言し、福音を伝えました。ウソのために命をかけることはありません。そのうち本当のことを暴露するはずです。弟子たちの宣教によって、世界中にイエスを信じる者たちが増え、教会が建てられました。

イエスの復活は、否定出来ない事実なのです。そして、今日でも、世界中の何百万人ものクリスチャンが復活したイエスと会っています。イエス・キリストは、確かによみがえり、今も生きておられるのです。

2.イエスの復活の意義

イエスの復活には、どのような意義があるのでしょうか。

① 救いの希望を与える

もし、イエスが復活されなかったなら、イエスは、神の御子でも、救い主でもなく、私たちと同じ単なる人間だったということです。イエスの死は、単なる個人の死でしかなく、身代わりの死ではなかったということです。そんなイエスを信じても、罪の赦しもなく、救いもなく、無意味です(Ⅰコリント15:17,19)。しかし、復活によって、イエスが「神の御子」(ローマ1:4)であることが示されました。ですから、イエスの死は、確かに私たちの罪の身代わりの死だったと言えるのです。そして、イエスは、信じる者たちが罪を赦され、「義と認められるために、よみがえられた」(ローマ4:25)のです。イエスの復活は、イエスを信じる者が救われるという希望を与えるものなのです。

② 復活の希望を与える

聖書には、イエスの復活が、私たちの復活の「初穂」(Ⅰコリント15:20)であったとあります。「初穂」とは、一番最初に収穫された作物のことです。つまり、イエスの復活は、私たちの復活の最初の復活であったということです。イエスを信じて、罪を赦され、永遠のいのちを与えられた者は、イエスがよみがえられたように、よみがえるのです。私たちの復活は、イエスがこの世界に再び帰って来られる再臨の時になされます。イエスが再び帰って来られる時、既に死んでいるクリスチャンが先によみがえります。生きているクリスチャンも彼らと一緒に一挙に天に上げられます(Ⅰテサロニケ4:16-17)。イエスの再臨の時、私たちは新しい体をもってよみがえらされます。その体は、弱さや、朽ちることもない栄光の体、完璧な体です(Ⅰコリント15:42-44,52-53)。

③ 生きる希望を与える

よみがえられたイエスは、いつも共にいて下さると約束されました(マタイ28:20)。イエスは、昇天後、「もうひとりの助け主」(ヨハネ14:16)なる聖霊を遣わして下さいました。神の霊である聖霊は、イエスと同じお方であり、いつも私たちと共にいて下さいます。聖霊が共におられるということは、イエスが共におられることと同じです。人生には、様々な困難や問題がありますが、私たちには希望があります。なぜなら、今も生きておられるイエスが、私たちと共におられるからです。どんな時でも、イエスは、私たちを守り、助け、導いて下さいます。2千年前、この地上で偉大な御業や奇跡をなされたイエスは、私たちと共におられ、今日も同じように御業をなされます(ヘブル13:8)。ですから、私たちは、希望をもって生きることが出来るのです(Ⅰペテロ1:3)。

イエスは、死に打ち勝たれました。イエスは、十字架で死なれましたが、三日目によみがえられた。イエスは、今も生きて、働いておられます。復活の希望をもって歩みましょう。