16.03.20
イエス様の十字架と聖霊の約束
ヨハネ16:5-11
イエス様は、ヨハネ13章から17章までの最後の晩餐の席で、ご自分がもうすぐ天に帰られること、また戻って来られること、そして助け主である聖霊が遣わされることなどを弟子たちに話されました。聖霊が来るということはどういうことなのでしょうか。
1.主は共におられる
イエス様は十字架にかかられる前、弟子たちに自分が世を去ることを予告しました。イエス様が処刑されてしまうということは、これまでイエス様を慕い、信じてついて来た弟子たちにとって、非常に大きな悲しみでした。しかしイエス様は、ご自分が去ることは、弟子たちにとって益であると言われました。なぜならもうひとりの助け主・聖霊が来てくださるからです。この聖霊が心に住まわれるということはイエス様が心におられることと同じなのです(ヨハネ14:16 cf…使徒16:7、ローマ8:9、ガラテヤ4:6)。
その後、イエス様は世を去り、天に帰られることになりますが、いなくなってしまうのではなく、私たちと共にいつまでもおられるのです(マタイ28:20、ヘブル13:5)。私たちはもう孤独ではないのです(ヨハネ14:16-17、23)。
2.見えないものに目を留める
イエス様が去ることで聖霊が来られます。目で見えるものだけを頼るなら信仰とは言えず、見ないで信じ、見えないものに信頼を置くのが信仰です。「見ずに信じる者は幸い」(ヨハネ20:29)なのです。そして、その信仰を助けて下さるのが聖霊です(Ⅰコリント12:3)。私たちは、人や物を求めたり、それらで心を満たすのではなく、私たちの内におられる聖霊に心を留めなければなりません。聖霊の御声に耳を傾けましょう。
肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢(Ⅰヨハネ2:16)は、世のものを求める心です。私たちは少しでも時間があると、真に重要ではないことを始めたり、テレビを見たりインターネットをしたりと世のことに時間を使います。しかし、聖霊は心の中で悲しんでいるのではないでしょうか。いつも祈り(Ⅰテサロニケ5:17)、日々神様を礼拝し(使徒2:46-27)、主のみことばをいただきましょう(マタイ4:4、コロサイ3:16)。そのようにして、日々御霊によって主と交わり、御声に耳を傾けましょう。
3.聖霊に従おう
聖霊は世の人々を悔い改めに導きます(ヨハネ16:8-11)。すなわち、イエス様を信じないことは罪であることや(マルコ16:16)、イエス様こそが義であることや、世の支配者・サタンが裁かれたことを認めさせてくださいます。聖霊は私たちを用いて福音を宣べ伝えさせて下さいます。そのために聖霊は力を注いで下さいます(使徒1:8)。ですから福音宣教に励み、みことばを伝えていくことが大事なのです。
今はイエス様を地上で見ることはできませんが、聖霊は私たちの心の中におられます。聖霊との交わりを持ち、御声に耳を傾け、さらに聖霊に満たされ、力をいただき、福音宣教のために働きましょう。
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