ヨシュア2:1-24(とくに2:1-21)
230226
聖書によると、私たちの住むこの世界は、戦争や疫病や天変地異などで、やがて滅びることが定まっています。滅びの町エリコに住んでいた遊女ラハブの物語を通して、滅びから救われるために、私たちはどうしたらよいかを学びましょう。
1.恵みのときに神と和解しよう
モーセに率いられてエジプトを脱出したイスラエルは、不信仰によって40年間荒野をさまよいました。そしてモーセの死後、ヨシュアに率いられてイスラエル人はヨルダン川を渡りました。この時、イスラエルは最初の町エリコを聖絶し、占領しようとしていました。
イスラエルに滅ぼされる前のエリコは、城壁のある強い町でした。しかし、そこに住む人々は、イスラエルが攻めてくることを聞いて恐れていました。エリコの人々はイスラエルとともにある神を恐れていました。なぜなら、イスラエルの神が強国エジプト軍を大いなる力で全滅させたことなどを聞いていたからです。
イスラエルは、エリコを偵察するため、2人の斥候を送り込みました。2人の斥候は、城壁の中にある遊女ラハブの家に入り、身を隠しました。ラハブは、エリコの住民でありながら、イスラエルの神を信じ、イスラエルの斥候たちを助け、イスラエルの神を信じるという信仰告白をしました。斥候たちは彼女に赤い紐を渡し、窓から吊り下げるように言いました。その家にいる者を救うことを約束しました。斥候たちは山に3日身を隠し、それからイスラエルの陣営に帰っていきました。
エリコの町は、終末時代のこの世界を意味する型です。今は大戦争、大地震、大噴火、大恐慌、疫病、天変地異が近いと言われています。この世界が滅ぼされることは、やむをえないことです。しかし、神はご自分のひとり子、イエスをこの世界に送り、すべての人の罪を彼に負わせました(イザヤ53:5-6)。イエスは3日目によみがえり、天に帰り、今も生きておられます。イエスを信じる者は誰でも救われるのです。
ラハブは遊女でした。イスラエルに敵対する滅びの町エリコの中で、もっとも罪深い者のひとりでした。そのラハブがイスラエルの神を信じ、斥候たちを保護したとき、救いを約束されたように、私たちも神を信じ、イエスを心に迎え入れましょう。そうすれば救われるのです(ヨハネ3:16、Ⅱコリント5:17)。
私たちは、今この世界に生きていて、あちこちで地震や大災害や戦争が起こるのを見ています。これは終末のキリストの再臨の前触れのようです。しかし、今は恵みのとき、救いがすぐそばにあるのです。時間切れになる前に、救い主イエスを信じ、神と和解しましょう(Ⅱコリント6:2、ヨハネ9:4-5)。
2.イエスの血によって私たちは救われる
斥候たちは、神の国イスラエルから滅びの町エリコに遣わされ、滅ぶべき罪人ラハブのところに来て、ラハブの信仰告白を聞き、赤い紐を与えました。そして彼女を救うと約束し、城壁の外に出て山中で3日身を隠し、それからイスラエルに戻りました。これらのことから、この斥候たちは、神の国から遣わされたイエスの型であることが分かります。なぜなら、イエスも城壁の外で十字架にかかり、墓に葬られ、3日目に復活して神の国に帰られたからです。
また、この赤い紐は、イエスの血の型です。御子イエスの十字架の血によって救われるという意味です。エジプトにおける過ぎ越しのときも、子羊の血を門柱とかもいに塗ることでその家の者たちが救われました(出エジプト12:22-23)。イエスの血によって、私たちは救われるのです。キリストはご自身の血によって私たちを買い取って下さいました(Ⅰコリント6:20、マルコ10:45、Ⅰペテロ2:24)。キリストの血によって私たちの罪は赦され救われたのです(コロサイ1:14)。
戦争や地震や大災害はいずれ来るものです。その時には、お金も地位も役に立ちません。しかし、主を信じ、主にとどまるなら、主は私たちを救ってくださるのです。それは携挙と呼ばれるもので、主の裁きに遭わないように、主が私たちを安全な場所に移してくださるのです(Ⅰテサロニケ4:16-17)。
3.主の元に、家族、親類、友人たちを導こう
斥候たちは、この家に家族たち、自分の仲間たち全員を集めておくように言いました。そうすれば、ラハブだけでなく、この家の者たち全員を救うと約束しました。ラハブは確かに命の危険を冒して真実な信仰を行動で現しましたが、ラハブの言葉を聞いて、神を信じ、この家に集まってきた家族たちも救われるのです。
私たちも、家族や仲間たちをイエスの元に導きましょう。私たちの家族、親族、友人たちにイエスの救いを伝え、ともにイエスにつながる者として歩めるよう祈りましょう。家族や親類たちに、証をすることはとても大事なことです(ルカ8:39)。主イエスを信じれば家族の者たちも救われるのです(使徒16:31)。
この赤い紐のある家は、その中にいれば、救われるという意味だけでなく、そこから出たら滅びるという意味がありました(ヨシュア2:19)。私たちも、キリストから離れたり、信仰を捨てたりしないで、いつも共に信仰を励ましあって歩みましょう(ヘブル10:25)。
滅びの町エリコに住んでいたラハブは、イスラエルの神を信じ、危険を冒してイスラエルの斥候たちを助けました。そのとき、斥候たちは彼女の安全を約束し、家にいる者全員を救うと約束しました。その目印は赤い紐で、イエスの血によって私たちを贖い、救ってくださるという意味がありました。私たちもイエスを信じ、家族や仲間たちにも、この救いを宣べ伝えましょう。
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