23.3.12.

Ⅰサム4~6章には、イスラエルがペリシテ人に負け、主の箱が奪われて転々と運ばれたことが記されています。7章では、イスラエルがペリシテ人に勝利したことが記されています。イスラエルはどのようにしてペリシテ人の支配から解放されたのでしょう。

1.偶像を捨てて心を尽くして主に立ち帰る

主の箱は、イスラエルに戻って来ましたが、それらかの20年間、省みられることなく、放置されたままでした(2)。なぜなら、イスラエル人の心は神から離れ、偶像礼拝するようになっていたからです。またその間、イスラエル人はペリシテ人からの圧迫を受け、苦しんでいました。Cf. 4:9。そのような苦しみの中で、イスラエル人は、次第に主を求めるようになりました(2)。そこで、サムエルはイスラエル人に語りました。「もし、あなたがたが心を尽くして主に帰り、あなたがたの間から外国の神々やアシュタロテを取り除き、心を主に向け、主にのみ仕えるなら、主はあなたがたをペリシテ人の手から救い出されます。」(3) これに応答し、「イスラエル人は、バアルやアシュタロテを取り除き、主にのみ仕え」(4)ました。

そして、サムエルの呼びかけで、イスラエルの人々は、「ミツパに集まり」(6)ました。ミツパは、エルサレムから北に10kmにある町で、時々イスラエル人が集まる町でした。イスラエルの人々は、「水を汲んで主の前に注ぎ、その日は断食し」(6)ました。「水を汲んで主の前に注」ぐとは、主に罪を告白して、赦しを求める行為でした。Cf.哀2:19。実際に彼らは「私たちは主に対して罪を犯しました」(6)と、罪を告白しました。イスラエル人は、20年前、ペリシテ人との戦いに敗れた時に、主の箱を持ち込む前に、まず、このようにへりくだって、罪を告白し、悔い改めの祈りをするべきでした。

今、私たちは、霊的・信仰的な状態は、どうなっているでしょうか。自分と主との関係は、どうなっているでしょうか。私たちは、常に主を愛し、主を求め、主に従い、主に仕えているでしょうか。それとも、私たちの心は主から離れ、偶像を持ってしまってはいないでしょうか。偶像とは、木や石で作った他の神々のことだけではありません。偶像とは、神以外に、一番となってしまっているものです。または、神以外に、私たちの心や生活を支配しているものが偶像となるのです。お金、財産、名誉、仕事、趣味、成功、人、どのようなものであっても、神以外に一番となってしまっているなら、それは偶像となるのです。もし、偶像となるものがあるなら、偶像を取り除き、悔い改めなければなりません。

2.主に頼って助けを祈り求める

「イスラエル人がミツパに集まったことをペリシテ人が聞いたとき、ペリシテ人の領主たちはイスラエルに攻め上った。」(7) ペリシテ人は、イスラエルが戦いの準備のために、集まっていると思ったのです。「イスラエル人はこれを聞いて、ペリシテ人を恐れた。」(7) イスラエル人は、サムエルに「私たちの神、主に叫ぶのをやめないでください。私たちをペリシテ人の手から救ってくださるように」(8)と頼みました。20年前のペリシテ人との戦いの時には、彼らは自分たちの罪を悔い改めることもなく、主に助けを求めることもなく、ただ主の箱を持って来れば、勝利出来ると考えていました。しかし今回は、イスラエル人は主の箱を持って来ることはしませんでした。彼らは、主だけに頼り、主ご自身に助けを求めたのです。私たちは、苦しみ、恐れ、悩み、どのような状況の中でも、大胆に主の前に出て、助けを祈り求めることが出来るのです(詩50:15詩121:1-2ヘブ4:16)。

「サムエルは乳離れしていない子羊一頭を取り、焼き尽くす全焼のいけにえとして主にささげた。サムエルはイスラエルのために主に叫んだ。それで主は彼に答えられた。」(9) 主にだけを頼り、主に助けを祈り求めたイスラエルに、主は答えて下さいました。「サムエルが全焼のいけにえをささげていたとき、ペリシテ人がイスラエルと戦おうとして近づいて来たが、主はその日、ペリシテ人の上に、大きな雷鳴をとどろかせ、彼らをかき乱したので、彼らはイスラエル人に打ち負かされた。」(10) 主は、雷鳴をとどろかせ、ペリシテ人を混乱させました。イスラエルは、雷によって混乱したペリシテ人を打ち負かすことが出来たのです。彼ら、20年間、自分たちを支配し、圧迫し、苦しめていたペリシテ人に勝ったのです。

「そこでサムエルは一つの石を取り、それをミツパとシェンの間に置き、それにエベン・エゼルという名をつけ、「ここまで主が私たちを助けてくださった」と言った。」(12) ペリシテ人との戦いに勝利した後、サムエルは一つの石を記念として立てました。それは「ここまで主が私たちを助けてくださった」と主が勝利を与えて下さったことを感謝し、そのことをいつまでも忘れないようにするためでした。「エベン・エゼル」とは、「助けの石」という意味です。主は、私たちを救い出して下さるお方、信頼できる岩なるお方です(詩95:1詩18:2-3)。

 

人生の苦しみや悩みは、私たちに何が大切か、何を最優先にするべきかを思い起こさせ、気づかせるものとなります。主なる神だけが、私たちの人生で一番となるべきお方です。他のどのようなものも、主の位置(王座)に置いてはならないのです。もし、私たちの内に、偶像となるものがあるなら、それは取り除かなければなりません。偶像を持ったままでは、何を行っても、祝福も勝利もありません。心から主なる神に立ち帰り、主に心を向けて、何よりも主を愛し、主を求めましょう。何よりも主に従い、主に仕えていきましょう。また、人生の中で様々な困難や問題がある時、主に助けを祈り求めましょう。主は、私たちに答え、不思議な方法で、私たちに助けと勝利を与えて下さいます。

Filed under: I サムエル記伊藤正登牧師