エマオ途上の二人の弟子たち

ルカ 24:13-35

私たちの教会は、地域のさまざまな課題を解決する教会を目指しています。
社会の中の人たちによりそい、 そこで人々がイエスが主と気づき、 主に立ち返るように願っています。 これは地域の方々への「おせっかい」のようです。
イエスも私たちに「おせっかい」をしてくださったおかげで、 私たちは目が開かれ、誤りに気づき、主を呼び求めて救われました。

1.自らの誤りに気付くためにはイエスが必要

うさぎの絵を見て猫に見えたりしますが、人それぞれ見方が違います。 罪がないと思っていた私たちが、イエスに出会って、自分が罪人であることに気づかされました。これが「おせっかい」です。 エマオへの道をゆく二人の弟子たちがいて、イエスは彼らとともにいましたが、 彼らはイエスに気づきませんでした。 目がさえぎられていたのです。 私たちにも主がともにおられるのですが気づかないことがあります。 彼らはイエスについて話しているとき、イエスが 「私だ」と教えませんでした。 彼らが自分で気づく必要があったのです。 その二人はエルサレムではなくエマオに行こうとしていました。 それは方向が違っていました。 その間違いに気づくためには、 イエスに気づく必要がありました。

2.誤りに気づいたら、方向転換が必要

イエスが彼らを 「心の鈍い人たち」と叱責されたように、私たちは心が鈍いのです。 彼らはイエスを無理に引き留め、一緒に泊まってくださるように願いました。イエスとともに歩むことを願いましょう。イエスがパンを裂いたとき、彼らは気づいたのですが、イエスの十字架によって私たちの心の目が開かれます。イエスが私たちのために十字架を負ってくださって、イエスが主であることに気づいたとき、方向を変える決断が必要です。 主の御心に気付いたら、正しい道に帰る決断をしましょう。

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