ヨシュア6:1-25(とくに、6:1-5、14-17、20-25)
230326
今、世界では様々な災害が次々と起こっています。聖書の預言に記されている通り、この世界は滅びに向かっています。しかし、私たちはどのような思いで、その日を待てばよいのでしょうか。エリコの町の滅びから学びましょう。
1.滅びる世界に富を蓄えるよりも、天に宝を蓄えよう
イスラエル軍はヨルダン川を渡り、エリコの町を滅ぼすときになりました。神が言われた通り、契約の箱と角笛を持った祭司たち、そしてすべての戦士たちが町の周りを回りました。1日1回、6日間回り、7日目は7回回りました。そしてイスラエル軍が、角笛を吹き鳴らし、ときの声を上げると、エリコの城壁は崩れ落ちました。イスラエル軍は町に攻め上り、あっという間にエリコの町を滅ぼしてしまいました。
神は7日目に完成される方です。聖書には、天地創造やナアマンのいやしなど、7回目や7日目に完成されることが多く記されています。この世界に対する神のさばきもそうです。黙示録6章から19章にかけて、神の裁きの預言が記されています。そこには、7つの封印の裁きがあり、7つのラッパの裁きがあり、7つの鉢の裁きがあります。主が封印を一つずつ解くたびに災いが起き、7つの封印が解かれると、ラッパの裁きが始まります。御使いたちがラッパを吹くたびに災いが起こります。7回目のラッパが吹き鳴らされたとき、御使いは裁きの鉢をぶちまけます。御使いが鉢をぶちまけるたびに災いが起き、7つの鉢すべてがぶちまけられたとき、主の裁きが完了します。こうして、地上は新たな世界になります。主の裁きほど恐ろしいものはありません(イザヤ13:9-12)。
ラハブたちはエリコに家を持っていたのでしょう。しかし、エリコの町が滅びたときには、もうその家に住むことはできなくなりました。エリコの町に財産があったとしても、それは裁きの日には役立ちませんでした。私たちはこの地上で生活する上で、ある程度の財産を持つことも必要です。しかし、この世界に永遠に住めるわけではありません。この世界に大きな財産を蓄えても、この世界が滅ぼされるとき、地上の宝も滅ぼされます。私たちは天に宝を蓄えましょう(マタイ6:19-20)。私たちは自分の持っている財産を用いて人々を助けることで、天に宝を蓄えることができるのです(ルカ12:33)。とくに、家族の人たちのため、また、信仰の家族の人たちのために善を行うことが大切です(Ⅰテモテ5:8、ガラテヤ6:10)。
さらに、タラントのたとえにあるように、自分に与えられている能力、財産、時間などを神の国のために用いるなら、のちに大きな報いが与えられるのです(マタイ25:21)。この地上に宝を蓄えるよりも、神の国のために宝を蓄えることの方が、素晴らしいことなのです。
2.滅びゆく世界を見て不安にならないで、救いを信じて希望を持とう
エリコの城壁が崩れ落ちたとき、イスラエルのスパイたちは再びラハブたちの集まっている家に行き、彼らを安全な場所へ連れ出しました(ヨシュア6:23)。約束通り、イスラエルのスパイたちは彼女たちを救ったのです。ラハブたちは全員イスラエルに住むようになりました。ヨシュアが彼女たちを生かしておいたのです(ヨシュア6:25)。
この後、彼女はイスラエル人のサルモンという人と結婚しました(マタイ1:5)。その子の名前がボアズで、ボアズの子はオベデ、オベデの子はエッサイ、エッサイの子はダビデ王です。さらにその子孫にイエスがお生まれになりました。つまりラハブの命がけでイスラエルのスパイたちを受け入れたことが、後に大きな報いをもたらしたのです(ヨシュア6:25)。
イエスが尊い血を流し、犠牲となられたので、イエスの犠牲の血によって、イエスを心に受け入れた者たち、すなわち、イエスを信じるすべての人々に救いが約束されています(ヨハネ3:16)。将来、救いの約束を得ている人たちのために、イエスが迎えに来てくださいます。そして、私たちをこの地上から救い出してくださいます(Ⅰテサロニケ4:16-18)。神は忠実な方です。決して私たちとの約束を破ったりはしません。この希望をもって歩みましょう。
ラハブたちにとっては、エリコの町が滅びるとき、自分たちが救われることを知っていました。ですから、イスラエル軍がエリコの町の周りを回っているとき、ラハブたちは、恐れていたのではなく、救いを待っていました。エリコが滅びようとしているときも、彼女たちは希望に満ち溢れていました。
この世界はやがて滅びますが、私たちは救われます。それだけでなく、やがて、私たちは神の国の相続者として、永遠のいのちが与えられ、永遠の祝福に入るのです。
まとめ
この世界は滅びに向かっています。その日は確実に近づいています。滅びる世界に富を築くのではなく、人々を助け、神の国のために財産を用いましょう。世界が滅びるからと言って、私たちが恐れ、不安になる必要はありません。かえって主の救いの日が近づいていることを喜びましょう。その日は私たちにとって救いの完成の日です。希望を持って歩みましょう。
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