16.3.6.

キリストに似た者へと成長する

コロサイ3:9,10

クリスチャンは、イエス・キリストを信じて、新しく生まれ変わった人です。Ⅱコリント5:17
すなわち、創造者なる神様のかたちに似た者にされたのです。コロサイ3:9,10
「造り主のかたちに似せられてますます新しくされ」とは、どういうことでしょうか。

1.神のかたちの回復

神様は、私たち人間をご自身のかたちに、ご自身に似せて造られました。創世記1:26,27
「神のかたち」とは、神様の外見的な姿形という意味ではなく、
神様のイメージ、すなわち、「神様に似た性質を持つ者」として造られたということです。
私たち人間は、神様の素晴らしさを鏡のように映し出す存在として造られたのです。
私たちが「神のかたち」に造られたのは、神様の栄光を現すためです。
しかし、今日、人間は神様の栄光を現してはいません。
それは、人間が神様に背いて罪を犯し、神様から離れてしまったからです。
私たちの内にある「神のかたち」は、罪のために損なわれ、
神様の素晴らしさを映し出すことが出来なくなってしまったのです。ローマ3:23
ちょうど鏡に泥が塗られて何も映し出すことも、反射することもできなくなったように、
人間は罪のために、神様の素晴らしさを現すことが出来なくなってしまったのです。
しかし、イエス・キリストが私たちの全ての罪をその身に負われ、
十字架にかかって死んで下さいました。
イエス様は、十字架の上で、ご自分の死によって、私たちの罪を処分して下さったのです。
イエス様を信じ受け入れた時に私たちの罪は赦され、私たちは新しく生まれ変わりました。
罪のために損なわれていた「神のかたち」が、
神様の栄光を現すべき本来の「神のかたち」、神様の似姿に修復されたのです。

2.キリストに似た者に変えられる

イエス様は、目に「見えない神のかたち」(コロサイ1:15)です。
コロサイ2:9には「キリストのうちにこそ、
神の満ち満ちたご性質が形をとって宿っています」とあります。
ですから、イエス様は「わたしを見た者は、父を見たのです」(ヨハネ14:9)と言われました。
イエス様こそが「神のかたち」の完全な現れです。
ですから、私たちが「神のかたち」に造り変えられるということは、
「キリストに似た者となる」ということであると言えます。
そして、「キリストに似た者となる」ということが、
クリスチャンとして霊的に成長するということなのです。
それは、キリストの品性である御霊の実を結ぶということです。ガラテヤ5:22,23
木が成長すると実を結ぶようになるように、
クリスチャンも霊的に成長するとキリストの品性である御霊の実を結ぶようになります。
そして、自分自身が変えられると、生活が変わり、人生が変わるようになります。
単に聖書の知識が豊富であるとか、霊的な賜物が与えられているとか、
信仰年月が長いということがクリスチャンの成長の証拠となるのではありません。
「クリスチャン」(キリスト者)とは、「キリストに似た者」という意味です。
イエス様を信じる者たちは、「クリスチャン」と呼ばれるようになりました。使徒11:26
それは、キリストのような性質を持ち、キリストのように語り、振る舞っていたからです。

3.自分の肉に死に、主の御霊に生きる

イエス様を信じ受け入れ、新しく生まれ変わったにも関わらず、
生まれ変わった者としての変化が見られない人がいます。
いまだに古い生き方、自分の肉の欲に従った生活にとどまっているのです。
その人の内に、まだ「肉」が残っていて、
聖霊によってではなく、「肉」によって心が支配されているからです。
「肉」とは人間の生まれながらの性質、自己中心(エゴやプライド)、罪の性質のことです。
その人は「肉に属する者」(肉的なクリスチャン)、霊的な「幼児」です。Ⅰコリント3:1-3
聖書は、「肉に属する行い」について説明しています。ガラテヤ5:19-21
「肉」は十字架につけて殺してしまわなければなりません。ガラテヤ5:24。コロサイ3:5
また、日々聖霊に満たされ、聖霊との交わりに生きることも必要です。ガラテヤ5:16-18,25
私たちの努力によっては「キリストに似た者」に変わることは出来ません。
聖霊の助けによって、「キリストに似た者」へと変えられていくのです。Ⅱコリント3:16-18
まず「人が主に向くなら」とあるように、
聖霊なる主を求め、その臨在に入っていくということが必要です。
私たちがこの地上に生きている限り、「肉」との戦いは続きます。
自分の「肉」を十字架につけて殺し、御霊に導かれて歩むということは、
毎日、継続的になされる行為です。ルカ9:23,24
それは、毎日の神様との交わり(ディポーション)の中で行われることなのです。
霊的な成長は、単に信仰書を読んだり、セミナーに出席することによってではなく、
日々の神様との交わり(ディポーション)の積み重ねによって得られるのです。

私たちが「イエス様に似た者」となるためには、長い時間が必要です。
イエス様のご性質を身に付けるためには一生かかります。
その完成は、私たちが最終的にイエス様の完全な御姿を仰ぎ見る時です。Ⅰヨハネ3:2
今、私たちは「キリストに似た者」へと発展していく途上にあります。
日々自分の「肉」を十字架につけて殺し、聖霊の力と助けを頂きながら歩みましょう。
私たちが変えられ、成長し、多くの実を結ぶ弟子となることによって、
神様の栄光を現すことが出来るのです。ヨハネ15:8
「新しい人は、造り主のかたちに似せられてますます新しくされ」(コロサイ3:9)るのです。

Filed under: 伊藤正登牧師