ギデオンの300人の勇士
士師6:33-7:8

22.2.20.
「ミデヤン人」は、「アマレク人や、東の人々」と「連合して」出陣して来ました(6:33)。これらの敵に対して、ギデオンは300人の勇士で戦いました。どのような人たちが勇士として選ばれたのでしょう。
1.主に栄光を帰す人
ギデオンのもとに「アビエゼル人が集まって」来ました(6:34)。「アビエゼル人」とは、ギデオンが属している自分の氏族です(6:11)。更にギデオンが属している「マナセ」族からも人々が集まり、その周りの部族である「アシュル」族、「ゼブルン」族、「ナフタリ」族からも集まりました。ギデオンは、「モレの山」の南側の「ハロデの泉」の側にイスラエルの陣を敷きました(7:1)。
一方、ミデヤン人は、「モレの山」の北側の谷に陣を敷いていました(7:1)。7:12には、ミデヤン人やアマレク人が「いなごのように大ぜい、谷に伏していた」とあります。8:10から、この時のミデヤン連合軍は、13万5千人いたことが分かります。それに対して、イスラエル軍の数は、たったの3万2千人でした(7:3)。敵と戦い、勝利するためには、イスラエルには更に大勢の兵士が必要でした。しかし、主は、ギデオンに「あなたといっしょにいる民は多すぎる」(7:2)と言われました。だから、主は、「わたしはミデヤン人を彼らの手に渡さない」(7:2)と言われました。なぜなら、イスラエルが勝利した時、「イスラエルが『自分の手で自分を救った』と言って、わたしに向かって誇るといけないから」(7:2)というのです。
この戦いは、偶像の神々に対する、真の神の戦いでもありました。主は、この戦いの勝利を通して、ご自分が真の神であることを示そうとされたのです。しかし、もしイスラエルが大軍によって敵に勝利したなら、イスラエルは自分たちの力を誇り、自分たちが栄光を取ってしまうようになるでしょう。この戦いは、人間の力によってではなく、主の力によって勝利したことが示され、主に栄光が帰さなければなりませんでした。主の力と栄光が現わされるために、弱く、力のない者が選ばれることがあるのです。
2.戦いを恐れない信仰の人
主は、ギデオンに「『恐れ、おののく者はみな帰りなさい。ギルアデ山から離れなさい』と言え」(7:3)と言われました。軍隊の中に、「恐れ、おののく者」すなわち臆病者がいたら、勝利することは出来ません。そのような人たちは、困難や危険があると、逃げ出したり、隠れたりしてしまいます。そして、彼らは、他の人々にも影響を与え、他の人々をも恐れさせてしまいます。そうなると、軍隊は弱くなり、戦えなくなってしまいます。
ギデオンが「恐れ、おののく者」を帰らせると、「二万二千人が帰って行き、一万人」だけが残りました(7:3)。これは、ギデオンにとって、かなりショックなことだったことでしょう。「恐れ、おののく者」には、主が共にいて、主が戦って下さり、主が勝利を与えて下さるという信仰がありませんでした。主の戦いにおいて求められることは、大勢の人ではなく、信仰の人です。主が用いられる人は、恐れない者、すなわち主を信じ信頼する者です。主が共にいて、主が戦って下さり、主が勝利を与えて下さると信じる人です。
主は、そのような信仰の人と共におられ、働いて下さり、御業を現して下さるのです。主は、信じる者と共におられ、信じる者と共に働いて下さいます。ですらか、主は、常にご自身の民に「恐れるな」と語って来られました(イザ41:10) どのような時にも、目に見える状況だけを見て恐れるのではなく、目に見えないけれども、共におられ、働いて下さる主を信じなければなりません。「私たちは、恐れ退いて滅びる者ではなく、信じていのちを保つ者です。」(ヘブ10:39) 主は、信仰の人を用いて、御業を現わし、栄光を現わして下さるのです。
3.戦う備えのある人
主は、更にギデオンに「民はまだ多すぎる」(7:4)と語られました。そこで、主は、イスラエルの兵士たちを「水のところ」でテストして、兵士として相応しい者を示して下さると言われました(7:4)。主のテストに合格する者だけが兵士として戦うことが出来るということです。
「そこでギデオンは民を連れて、水のところに下って」(7:4)行きました。「ハロデの泉」に着くと、イスラエルの兵士たちは、それぞれ水を飲み始めました。すると主は、「犬がなめるように、舌で水をなめる者は残らず別にしておき、また、ひざをついて飲む者も残らずそうせよ」(7:5)と言われました。また、兵士たちの中には、「口に手を当てて水をなめた者」が「三百人」いました(7:6)。その時、主は「手で水をなめた三百人で、わたしはあなたがたを救い、ミデヤン人をあなたの手に渡す」(7:7)と言われました。1万人の兵士の内、9千7百人が不合格となり、3百人だけが残りました。
「犬がなめるように、舌で水をなめる者」と「ひざをついて飲む者」とは、喉の渇きを満たすことだけに夢中になって、戦いのことを全く忘れていました。恐らく、彼らは武器も投げ出してしまい、敵に対して不用意になっていました。しかし、「口に手を当てて水をなめた者」たちは、喉が渇いていても、水を飲むことだけに夢中にならず、周りの状況に気を配り、いつでも戦うための準備が出来ている人たちだったのです。恐らく、彼らは片方の手に武器を持ったまま、もう一方の手で水を飲んだのです。主が用いられる人は、常に主の戦いのために準備が出来ている人です。
3百人という数は、ミデヤン連合軍の13万5千人に比べ、取るに足りないものです。そのような少人数で大軍に勝利するということはあり得ないことです。しかし、彼らは信仰のある人々、主の働きのために備えが出来ている人々でした。主は、このような人々を主の御業のために用いて下さるのです。私たちも、ギデオンの3百人の兵士たちのように、主に用いられる者となりましょう。