ゲラルに滞在したイサク
創世記26:1-12

220925
今はコロナ禍により、多くの人が収入が減ったり、仕事を失ったり、物価が高くなったりして食べ物もないほど生活が苦しくなっています。イサクの時代にも飢饉がありました。そのとき、イサクはどうしたのでしょう。神の御言葉から学びましょう。
1.困難は災いではなく祝福の第一歩
イサクの時代に飢饉があり、イサクはペリシテ人の町ゲラルに行きました。すると主が、「エジプトへは行くな。ゲラルに滞在せよ。」(創世記26:2-3)と語られました。その理由は、主がこのゲラルをイサクとその子孫に与えてくださるからでした(v.3-5)。イサクは神に祝福されているのです。このゲラルでも祝福され、この先どこにいても栄え、増え広がるのです。
イサクはペリシテ人の町ゲラルに来たことを災いだと感じたかもしれません。しかし、それは災いではなくて祝福の第一歩だったのです。この町で栄え、繁栄するためです。そしてついにこの町を自分たちのものとするのです。
私たちも生活が苦しくなると、今までやったこともないような仕事をしたり、家賃の低い家に引っ越ししたりします。周りはクリスチャンではなく、この世の人たちばかりに囲まれたりします。生活のためとはいえ、慣れない環境で頑張ると、これは災いだと思うかもしれません。しかし、私たちはどこにあっても祝福されているのです。その場所に来たのは、災いではなくて祝福の第一歩なのです(エレミヤ29:11)。
なぜイサクはこれほど祝福されているのでしょうか。それは、イサクの父アブラハムが神に従ったので、そのアブラハムの祝福がイサクに引き継がれたからです(v.5)。
同様に、私たちが祝福されるのは、イエスの十字架の贖いにより、私たちが神の祝福を受け継ぐものとなったからです。私たちはイエスを信じる信仰によって、アブラハムの子孫とみなされ、アブラハムの祝福を受け継いでいるのです(ガラテヤ3:6-9)。私たちはイエスを救い主と信じ、アブラハムの祝福を受け継ぐものになりましょう。
2.恐れず、主に信頼しよう
さて、イサクの家族はゲラルに住みました。周りには悪人たちがたくさんいるとイサクは思ったことでしょう。イサクは町の人々を恐れました。そして、神から与えられた妻リベカを妹だと偽りました。妻が美人だったので、悪人が妻リベカを奪うために、夫の自分(イサク)を殺すかもしれないと思ったのです。しかし、このことは、自分の命は安全かもしれませんが、妻が他人に取られてしまう可能性がありました。そうなれば、祝福どころかイサク一家の滅びです。
私たちは人を恐れてはいけません。恐れは滅びをもたらすのです(箴言29:25、ヘブル10:39)。主がともにおられるから、恐れる必要はないのです(イザヤ41:10、43:1-2、ヨシュア1:9)心配ごとは主に委ねましょう(Ⅰペテロ5:7)。どんな問題も主にできないことはありません。そして主に信頼しましょう。主が私たちを守り、祝福し、導いてくださるのです(詩篇37:3-9、46:1-3)。
3.信仰を守り、礼拝を大事にしよう
イサクは妻を守らなければなりませんでした。彼は妻リベカを自分の妻だと正しく公言すべきでした。私たちも自分の信仰を守り、自分の信仰を表明しましょう。職場にあっても、近所の人たちの前でも、「自分はクリスチャンです、私は主のものです」と公言しましょう。
また、神を礼拝することを守りましょう。私たちは職場の人々を恐れて、「仕事のためなら日曜日の礼拝は無理に行かなくてもよいのです」と言ってしまうことがあるかもしれません。しかし、神を礼拝することを生活の中心に置くことが大事です。礼拝に来れない日もあります。しかし、大切なことは安息日を聖なる日とすることです(出エジプト20:8)。安息日を汚すということは、安息日に出歩いたり、自分の好むことのために使ったり、自分の仕事をすることなのです(出エジプト20:9-11、イザヤ58:13-14)。
神のものは神に返しましょう(ルカ20:25)。神を第一とすることで、神からの祝福が注がれるのです(マタイ6:33、Ⅰペテロ3:10-12、申命記28:1-14)。
ペリシテ人の王アビメレクは、イサクが嘘をついていることを知り、ゲラルの人々に「イサクたちに手を出すな」と命令してくれました。こうしてイサクの偽りの日々は終わりました。そのとき、神は彼に100倍の収穫を与えたのです。
まとめ
私たちはだれでも貧困になりえます。アブラハムもイサクもそこを通ったのです。しかし、それは祝福の第一歩なのです。なぜなら私たちは神に祝福されているからです。私たちはイエスの御名によって神の子どもです。恐れないで、神を信頼しましょう。礼拝を守り、自分の信仰を守りましょう。そうすれば、飢饉のときも百倍の収穫を得ることになるのです。私たちの必要は満たされ、生活が守られるのです。
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