2018.8.26

暑い日に水を飲めば生き返るように元気になります。しかし、しばらくするとまた水が欲しくなります。渇くことのない水があればいいなと思うことでしょう。今日は、そんな水を与えてくださるイエス様について学びましょう。

1.この水を飲む者はまた渇く

イエス様がサマリヤのスカルという町のヤコブの井戸のところに座り、休んでおられましたが、昼の12時ごろ、とても暑いとき、一人のサマリヤ人の女性が水を汲みに来ました。その時、イエス様は彼女に「私に水を飲ませてください」と頼みました。ユダヤ人の男性から声をかけられて、彼女は不思議に思いました。するとイエス様は「この水を飲む者はまた渇きます」(ヨハネ4:13)と言われたのです。

人間には霊的な飢え渇きがあります。なぜなら、人間は罪のため、命の源である神様から離れているからです。「この水を飲む者はまた渇く」(ヨハネ4:13)とありますが、人間は霊的飢え渇きを満たすため、この世にあるもので霊的な満たしを得ようとします。しかし、この世の喜びや楽しみは、一時的なものであって、霊的な満たしを得ることができません。この「渇く」というのは、単に喉がカラカラになって苦しいという意味ではなくて、原語のギリシャ語では、ディプサオーと言い、次から次へと一心に追いかけていくということです。

この女性は過去に結婚と離婚を5回も繰り返し、今も別の男性と暮らしていましたが、正式な夫婦ではありませんでした。彼女は霊的な満たしを男性に求めていました。自分を愛してくれる頼もしい男性なら本当の満たしが得られると思っていましたが、彼女はそれでも真の満たしを得ることができず、幸せになれませんでした。パスカルは「神様以外の何物にも、その飢え渇きを満たすことはできない」と言いました。

ある者は霊的な満たしを得るために結婚相手を求めています。またある人はお金を、またある人は学歴やよい就職先を、またある人はたくさん食べることで満たそうとしています。私たちは、この世の中にあるもので満足を得ようとしてはいませんか。世の中のものから得られる満足感は一時的です。真の喜びではありません(エレミヤ2:13)。

2.イエス様を信じるとき喜びと満足が得られる

イエス様はサマリヤの女に、自分がメシヤであることを証しました(ヨハネ4:26)。このときの言葉がギリシャ語で、「わたしはある」という言葉で、神様を現わす言葉でした。そのとき、この女は町に行って、キリストと出会ったと喜びながら人々に宣伝しました。イエス様が救い主・メシヤであることを彼女が知ったとき、彼女は霊的な真の喜びを得ました。彼女のことばを聞いて町の人々もイエス様のところに来ましたが、町の人々も救い主・メシヤに会ったことで、心に喜びと平安が満ちました。

私たちも本当の満たしと喜びを下さるイエス様の元に行きましょう。そして、イエス様を救い主として信じましょう(詩篇42:1)。そうすれば主は素晴らしい喜びと平安を与えてくださいます(ヨハネ4:10、14、14:27)。

ヨハネ4:14の「決して渇くことがありません」という言葉は、ギリシャ語では「もう他の物を決して探し求めない」という言葉が使われています。本物を持っている人は偽物を探し求めてさまよい歩くことが決してないように、イエス様を知っている人は、霊的な飢え渇きを世の中にあるもので満たそうとすることはないのです。
私たちもイエス様を信じましょう。そしてイエス様から霊的な満たしをいただきましょう。

3.水は泉となり、永遠のいのちに至る

私たち人間が持っている霊的な飢え渇きは、イエス様を信じた時に満たされます。その喜びはそれは泉のように湧き上がり、永遠のいのちに至るのです(ヨハネ4:14)。永遠のいのちとは、永遠なる神様と永遠に共に生きることであり、これこそ真の満足と喜びです。この喜びを得ている人は、つまり永遠のいのちを得ているということなのです(Ⅰペテロ1:8-9)。