2017.11.26
ツァレファテのやもめの息子の甦り
Ⅰ列王記17:17-24
ツァレファテのやもめは、預言者エリヤが飢え渇いて死にそうだったとき、神様のお言葉に従って自分の食糧を彼に与えて助けたほど、すばらしい信仰の人でした。このとき神様のお言葉どおり、奇跡が起こり、粉と油は尽きず、彼女は毎日その粉と油でパンを作り、エリヤも彼女も彼女の息子も食べ続けて生きることができました。このように彼女は神様の働き人を支える立派な信仰を持っていました。それなのに、彼女の最愛の息子が病気で死んでしまったのです。
神様を信じ、また仕えていても災いや困難に遭ったり、大きな病気を患ったり、とくに死という問題はやってくるのです。では信仰は私たちに何の助けになるのでしょうか。
1.私たちには神様との間の仲介者が共にいる
彼女の息子が病気で死んでしまいましたが、彼女には預言者エリヤが共にいて、神様との間の仲介者となってくれたのでした。エリヤを通して神様が祈りを聞かれ、子供は生き返ったのです。このときのエリヤは、私たちにとってのイエス様を意味しているのです。
神様を信じ、また仕えていても災いや困難や死があります(ヨハネ16:33)。しかし、私たちにも素晴らしい救い主イエス様がおられ、私たちのために神様にとりなしてくださっているのです(ローマ8:34)。イエス様こそ神と人との間の唯一の仲介者です(Ⅰテモテ2:5)。イエス様を通して私たちは全知全能の神様に願い、祈ることができるのです(ヨハネ16:23-24、ピリピ4:6-7)。
2.イエス様の十字架の死により与えられる命
エリヤは死んだ子供の上に3度身を伏せて祈りました。死者とともに3度横たわったのです。するとその子のいのちは帰ってきて、その子は生き返りました。
イエス様も十字架で死なれ、3日間、黄泉に下られました。イエス様の十字架の贖いの御業により、私たちは死から命へと移され、救われ、癒されたのです。
キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです(Ⅰペテロ2:24)。
私たちはキリストと共に死に、キリストと共に生きているのです(ガラテヤ2:20)。
3.彼女の日ごろの信仰と働きによって祈りは聞かれた
エリヤは自分の世話をしてくれたやもめだから願いをかなえてほしいと祈りました。彼女のしてきたことは、粉と油で食事を作るだけのことでしたが、毎日続け、神様の働き人を支え続けてきたのです。この働きは小さくても、それは彼女の信仰の現れでした。
たとえ小さな行いだったとしても、それがその人の精いっぱいの行いであるなら、その行いの伴った信仰に応えて、主は願いを聞かれ、すばらしい御業を現わしてくださるのです。行いの伴った信仰によって私たちは義と認められます(ヤコブ2:22-24)。義人の祈りは働くと大きな力があるのです(ヤコブ5:16)。
ヒゼキヤ王が重い病気になったとき、彼は、自分がまったき心で神様に仕えてきたことを思い出してくださいと祈りました。神様は彼の祈りを聞かれ、彼の行いの伴った信仰に応えて、もう15年を彼の寿命に加えてくださいました(Ⅱ列王記20:3-6)。
私たちは神様の働きをする信仰者であっても、問題や災いに遭うこともあり、死を避けることもできません。しかし、私たちにはイエス様がおられます。イエス様は私たちのためにとりなしてくださる仲介者です。神様はイエス様の御名による祈りを聞かれ、行いの伴った信仰に応え、大きな恵みの御業を現わしてくださるのです。それは私たちの行いによるのではなく、ただイエス様の十字架の犠牲のゆえに与えられる恵みなのです。
Filed under: 柴田晃伝道師