ネブカデネザル王の高ぶり

ダニエル4:1-37(とくに、4:4-5,28-34)

211024

ネブカデネザル王は夢を見ました。その夢の通りのことが王に起こりました。王は狂い、獣のように野で過ごしました。7年後、再び理性が戻り、宮殿に帰ることができました。これは神の裁きでした。私たちはネブカデネザル王のような過ちを犯さないように、どうすればよいでしょうか。

1.高ぶる者は退けられる

①主の栄光を取ってしまったネブカデネザル王

ネブカデネザル王は「この大バビロンは自分の権力によって私が建てた」と言いました(ダニエル4:30)。自分の権力の偉大さを誇ってしまいました。しかし、自分が王であるのは、神によって立てられているからです。ネブカデネザル王は神が受けるべき栄光を自分で取ってしまったのです。

また、ネブカデネザル王は言いました。「王の家とするために、また、私の威光を輝かすために建てた」(ダニエル4:30)。神があがめられるべきなのに、王は自分が人々からあがめられることを求めました。これも神の受けるべき栄光を横取りするものでした。

②おごり高ぶってはならない

ネブカデネザル王が神の栄光をとってしまった原因は彼の中にある高ぶりと傲慢でした(ダニエル5:18-20)。自分を高くするなら神によって退けられ、低くされます(ルカ14:1118:14マタイ23:12ヤコブ4:610Ⅰペテロ5:5-6)。

③高ぶる者は退けられる

ネブカデネザル王は高ぶりと傲慢の罪のため、神の裁きを受け、狂ってしまい、すべてを失いました。

同様に、バベルの人々も自分たちの名を上げようと高い塔を建てましたが、自分たちの栄光を求めたため、神の裁きを受けました。彼らは言語が混乱し、塔の建設は中断してしまいました(創世記11:1-9)。

ヘロデ・アグリッパ1世も神に栄光を帰さなかったので、神の裁きを受け、虫にかまれて死にました(使徒12:22-23)。高ぶる者には神の罰が下り退けられるのです。

2.へりくだる者に恵みが注がれる

私たちがネブカデネザル王のような失敗をしないためには、へりくだり、栄光を神に帰さなければなりません。神の栄光のために行動しなければなりません(Ⅰコリント10:31)。

①主を礼拝しよう

へりくだるということは、単に自己卑下をすることではなく、神を高めるということです。すなわち、神を礼拝し、神に栄光を帰すのです。とくに、週の初めの日を主にささげ、主を礼拝しましょう(出エジプト20:8イザヤ58:13-14)。

②主に感謝をささげよう

へりくだるということは、良い時も、悪い時も、文句を言わず、神に感謝することです(Ⅰテサロニケ5:18)。働いて収入を得たときも、神に感謝をささげましょう。まず十分の一とその他のささげものをすることは、神に栄光を帰すことです(箴言3:9-10)。

③誰に対してもへりくだろう

神の前にへりくだることはもちろん、すべての人に対してもへりくだりましょう(ピリピ2:3-4ダニエル4:27)。

3.主イエスにならう者となろう

ネブカデネザル王は、獣のように野で過ごしていたとき、天を見上げました。つまり、天におられる全世界の支配者である神を認めたのです。そのとき理性が彼に戻ってきました(ダニエル4:34)。私たちも主を見上げ、イエスに目を向けましょう。そうすれば、私たちの心の目が開かれ、イエスのように変えられていきます(Ⅱコリント3:16-18)。

イエスは神の御姿であるのに、人として来てくださり、仕える者となり、十字架にまで従われました(ピリピ2:6-8)。イエスの模範にならって、へりくだりましょう(Ⅰペテロ2:21)。

 

ネブカデネザル王は自分の権力を誇り、神の栄光を取ってしまいました。そのため、神の裁きにより、彼は狂ってしまいました。私たちは神の御前にへりくだりましょう。神に栄光を帰しましょう。そのためには、私たちは神を礼拝し、感謝をささげ、へりくだって歩みましょう。イエスを見上げ、イエスに倣いましょう。

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