モーセの祭壇---祈りによる勝利
出エジプト17:8-16
22.8.7.
イスラエルの民がエジプトを出て、シナイ山の近くのレフィディムに来た時、アマレク人が攻めて来ました。アマレク人は、エサウの子孫で、シナイの北に住む遊牧民でした。「アマレク」とは、「アム」と「ラカー」という言葉から来ています。「アム」は「人々」、「ラカー」は「奪う」という意味です。ですから、「アマレク人」とは、「奪い取る人々」、「略奪隊」という意味になります。アマレクは、神の民から良い物を奪います。そして、神の民を弱らせて、滅ぼそうとします。これは、サタンの働きです(ヨハ10:10)。
私たちも主によって救われ、神の民とされました。主と共に歩む生活をしていても、様々なアマレクが襲って来ることがあります。それらは、様々な問題としてやって来ます。経済的問題、家庭の問題、仕事の問題、人間関係の問題など様々です。どうしたら、その問題に勝利出来るのでしょう。
1.祈りの手を上げ続ける(11)
モーセが手を上げている時は、イスラエルが優勢になり、手を降ろしている時は、アマレクが優勢になりました。すなわち、モーセが祈っている間は、アマレクに勝利することができました。しかし、祈らなくなると、アマレクに負けそうになったのです。
ですから、問題に勝利していくためには、祈らなければなりません。自分の知恵や力に頼るのではなく、主に頼るのです。すると、主が働いて下さり、主が戦って下さり、私たちの考えや力を遥かに超えた方法で主が勝利を下さるのです。私たちが常に勝利していくためには、祈り続けなければなりません。
Ⅰテサ5:17。絶えず祈りなさい。
エペ6:18。あらゆる祈りと願いによって、どんなときにも御霊によって祈りなさい。
そのために、目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くして祈りなさい。
コロ4:2。たゆみなく祈りなさい。感謝をもって祈りつつ、目を覚ましていなさい。
2.支え合って祈る(12)
モーセは一人で手を上げて祈っていましたが、やがて疲れて手を降ろしてしまいました。そこで、アロンとフルは、石を持ってきて、その上にモーセを座らせました。そして、アロンとフルが、一人がモーセの右手を支え、もう一人が左手を支えました。それで、モーセの両手は、日が沈むまでずっと上げられていたのです。その結果、ヨシュアは、アマレクを打ち破ることが出来ました(13)。
どんなに信仰が強い人でも、一人だけでは疲れたり、弱くなり、祈ることが出来なくなってしまう時もあります。私たちには、兄弟姉妹からの励ましや支えが必要です。一人だけで祈るのではなく、一緒に祈ってくれる兄弟姉妹、共に祈り合う兄弟姉妹が必要なのです。Cf.ヤコ5:16。私たちが共に心を一つにして祈るなら、その祈りはかなえられるのです。
マタ18:19。まことに、あなたがたにもう一度、告げます。
もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、
天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。
3.主が勝利を与えて下さる(15)
イスラエルがアマレクに勝利した時、モーセは祭壇を築きました。その祭壇は、「アドナイ・ニシ」と呼ばれました。「アドナイ・ニシ」とは、「主は我が旗」という意味です。この旗は、戦いに勝利したことを示す勝利の旗です。モーセは、アマレクと戦い、勝利を与えて下さった神を「アドナイ・ニシ」と呼んだのです。人間的な知恵や力が私たちに勝利を与えるのではあません。神が私たちを勝利へと導いて下さるのです。Cf. 出14:13-14。
モーセは、祭壇を築いた時、「主の御座の上の手」と言いました(16)。「主の御座の上の手」とは、主の御座に向かって手を上げて祈るということです。モーセが、主に向かって手を上げて祈ったように、私たちも、主に向かって手を上げて祈るなら、「主は代々にわたってアマレクと戦われる」(16)のです。主は今日も私たちのために戦って下さり、勝利を与えて下さるのです。Cf.イザ41:10-13。
Ⅰペ2:5。あなたがたも生ける石として、霊の家に築き上げられなさい。そして聖なる祭司として、イエス・キリストを通して神に喜ばれる霊のいけにえをささげなさい。
私たちは、聖なる祭司です。祭司の仕事は、人々のために執り成し祈ることです。
また、私たちは城壁の見張り人とされているとも言われています。
イザ62:6は、リビングバイブルでは「エルサレムよ、私は城壁の上に見張り人を置きました。その人が昼となく夜となく、約束の成就を神様に祈り求めるためです」となっています。見張り人は、城壁の上に立って、敵が襲って来ないか、昼も夜も常に見張っています。私たちも、見張り人として、昼も夜も決して黙ることなく、勝利を得るまで祈り続けるのです。
主に祈りの手を上げ、祈りの声を上げていきましょう。