Ⅱ歴代誌10:1-19, 12:1-8
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高ぶりという罪は、誰にでもありえることです。誰でもつい高ぶって失敗することがあります。レハブアム王の高ぶりとへりくだりから学びましょう。
1.高ぶりは失敗をもたらす
レハブアム王はソロモンの息子であり、ソロモンの死後、41歳で王となりました(Ⅰ列王記14:21)。彼が王になって間もなく、ヤロブアムに率いられたイスラエルの人々が彼のもとに来ました。そして、重労働を緩和してくれと言いました。彼はまだ若くて政治の経験もありませんでしたから、まず、ソロモンに仕えていた長老たちに相談しました。すると、ソロモンの長老たちは、「イスラエルの人々にやさしく親切に接して重労働を緩和すると良い」と言いました。次に、レハブアムは彼の同年代の友達にも相談しました。すると、「イスラエルの人々に強い姿勢で臨むように」と言いました。その友達は、「ソロモンよりも自分の方が偉大な者だと言い、もっとひどい重労働で苦しめるのが良い」と言いました。レハブアムは友達の意見に従いました。彼はイスラエルの長老たちに、荒々しく接して、もっとひどい重労働を与えると言いました。このとき、イスラエルの12部族のうち10部族は彼から離れてしまいました。
レハブアム王の時代に国が分断されることは、すでに神が計画し、予告していたことでした(Ⅰ列王記11:9-13)。神は、レハブアムが高ぶったときにイスラエルを分断しました。
人が高ぶるとき、混乱があり、人との信頼関係は壊れます。私たちは仕事や人間関係で失敗しないために、へりくだりましょう。互いに人を自分よりも優れた者と思うことがへりくだりです(ピリピ2:3)。努力して謙遜と柔和により一致を求めることが大切です(エペソ4:2-3)。
2.神は高ぶるものを退ける
レハブアムは王位を確立させたとき、今度は神の律法を捨て去りました(Ⅱ歴代誌12:1)。律法を捨てたということは、神の御言葉に従うことをやめたのであり、神を捨てたということです。するとエジプトから数えられないほどの敵が攻めてきました(Ⅱ歴代誌12:2-4)。それは、レハブアムが神の御言葉に従わず、神に不信の罪を犯したからです(Ⅱ歴代誌12:1-2、5)。
敵がレハブアムのいるエルサレムにまで迫ってきた時、預言者シェマヤが王のところにやってきて主の御言葉を告げました。「あなたが神の律法を捨てたので、わたしもあなたを捨てる」(Ⅱ歴代誌12:5)。
人間は仕事が順調に進んだり、強くなったり、権力を握ったりすると神に仕えるのをやめてしまうことがあります。神の御言葉に従うことは不効率だとか面倒だと考えるのは、おごり高ぶりです。神の御前に高ぶるなら、混乱があり、神の祝福が得られないのです。
バベルの塔の話でも(創世記11:4)、ネブカデネザル王が理性を失った話でも(ダニエル4:30)、神の御前に高ぶると神に見捨てられ、混乱して祝福を受けられなくなってしまうのです。神に見放されたら私たちは生きていくことはできません。私たちは神なしに生きられません。神の御前にへりくだることが大切です。
3.へりくだり、悔い改めるなら恵みを受ける
レハブアム王は主の裁きの御言葉を聞いたとき、「主は正しい」と言いました(Ⅱ歴代誌12:6)。この時、彼は心から悔い改め、神に従うことにしたのです。神は彼のへりくだりをご覧になり、彼に救いを与えてくださいました(Ⅱ歴代誌12:7 )。
神は、私たちがへりくだって神とともに歩むことを願っておられます(ミカ6:8)。神はへりくだる人とともに住まわれるのです(イザヤ57:15)。神は高ぶる者を退け、へりくだる者に恵みを授けられます(ヤコブ4:6、ルカ14:11、箴言18:12)。主の御前にへりくだり、悔い改めるとき、救いが与えられます(Ⅱコリント7:10)。
まとめ
この後、ユダ王国は戦争に負けて、エジプトに支配されることになりました。これは、レハブアムに対する神の懲らしめでした。その中で、レハブアムは神の御言葉に従うことの方が、敵に支配されることよりもずっと良いことを悟りました(Ⅱ歴代誌12:8)。
私たちの神は憐み深い神です。私たちが主の御前にへりくだり、悔い改めるなら、救われます。また、私たちが高ぶり、過ちを犯すとき、神は私たちに懲らしめを与えます。その中で、苦しい思いをすることもありますが、ここで大切なことを学ぶためです。それは、この世のものに支配されるより神に支配される方が楽だということです。この世のものに仕えるより神に仕える方が良いということです。私たちは神に対してへりくだり、主の御言葉に従って生きていきましょう。それは重荷とはなりません(Ⅰヨハネ5:3、マタイ11:28-30)。また、人々に対してへりくだりましょう。人間関係や仕事が祝福されるのです。
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