15.11.1.

一つとなる教会 (続き)

エペソ4:16、ピリピ2:2

(先週の続き)

③ 志(ビジョン)による一致

聖書は「志を一つにしてください」と言っています。
私たちが同じ一つの志(ビジョン)に集中するなら、調和と一致が生まれます。
一つの志(ビジョン)がないと一致はなく、バラバラになり、何事も成し遂げられません。
箴言29:18。幻がなければ、民はほしいままにふるまう。
私たちが一つとなるためには、一つの志(ビジョン)に向かって進むことが大切です。

私たちが持つべき志とは、自分の志(自分がやりたいこと)ではなく、
キリストの体である教会の頭であるキリストの志です。
私たちは、頭であるキリストの志を行うキリストの体(手足)なのです。
キリストが持っておられる志とは、全世界に福音を宣べ伝えることです。
キリストはこのご自身の志を私たちに委ねられたのです。マルコ16:15。マタイ28:19
福音宣教とは、人々に福音を宣べ伝え、イエス・キリストによる救いへと導き、
さらに救われた人々を弟子として育て、彼らを再び宣教に遣わすということです。
この使命の実現のために、教会全体で一つとなって協力して取り組んでいくのです。

福音宣教は、教会に託された第一の使命であり、教会の存在目的です。
その使命の達成のために、教会では様々な伝道の働きがなされています。
その一つ一つに心を合わせ、力を合わせて協力することが大切です。
教会が行う伝道の働きに対して、無関心であったり、非協力的であったり、
教会が進めようとしている伝道の働きと全く関係のない違った事をしようとしないで、
教会の兄弟姉妹たちと心と力を合わせて伝道の働きを進めていかなければなりません。
教会の一致とは、一致のための一致なのではなく、使命実現のためのものなのです。
「福音宣教という目標に向かって前進していくのだ」という志(ビジョン)を、
一人一人が自分のものとして持つことが必要です。

3.一つとなる所に主の臨在と祝福がある

私たちが互いに愛し合い、霊と志を一つにして、キリストの体である教会を建て上げる時、
そこに主ご自身も喜んで来て下さり、臨まれ、住まわれるのです。
もし、互いに裁き合ったり、分派や分裂があるなら、主の霊は悲しみ、去ってしまいます。
聖書は私たちが互いに愛し合う中に、主もその中におられると言っています。Ⅰヨハネ4:12
私たちが愛し合うことによって、目で見ることのできない神様が現されるのです。
それによって、世の人たちは、目で見ることのできない神様を知ることになるのです。
イエス様はご自分の名によって集まる所に共におられると約束されました。マタイ18:20
復活したイエス様は弟子たちが一緒に集まっているところに現れました。ヨハネ20:19,26

また、私たちが一つとなる所に神様の祝福が豊かに注がれます。詩篇133:1-3
そこには、愛、喜び、平安、癒し、力、満たし、解放などあらゆる恵みがあるのです。
神様の臨在のある所には恵みが溢れるのです。
エペソ1:23に、「教会はキリストのからだであり、いっさいのものを
いっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです」とある通りに、
私たちがキリストの体である教会において一つとなるなら、
そこに「いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられる」のです。
一つとなる所に主も共におられ、そこに主の豊かな祝福が溢れるのです。
そして、主の臨在の中で、恵みが注がれ、御業が現されていくのです。

神様は、教会を通してご自身の御業を進め、栄光を現そうとしておられます。
しかし、残念ながら、教会に一致がないために、
福音宣教の働きが進まず、神様の働きが妨げられているのです。
イエス様は、「もし国が内部で分裂したら、その国は立ち行きません。
また、家が内輪もめをしたら、家は立ち行きません」と言われました。マルコ3:24,25
家でも、国家でも、教会でも、一致がなければ建て上げられず、立ち行かないのです。
私たちは、キリストの体と一体となるように召し集められました。
ですから、一人一人がキリストの体の器官として、しっかりと組み合わされ、
一つに建て上げられていかなくてはなりません。
私たちが一つとなるためには、あらゆる努力をしなければなりません。
愛の心を持ち、霊において一致し、一つの志(ビジョン)に向かって進んで行きましょう。
一つとなる教会に主は臨んで下さり、恵みを注ぎ、御業を現して下さいます。
一つになってキリストのからだなる教会を建て上げましょう。

Filed under: 伊藤正登牧師