Ⅰサムエル5章
23.2.19.
イスラエルは、ペリシテ人との戦いで敗れてしまい、大切な契約の箱まで奪われてしまいました。その後、契約の箱はどうなったのでしょう。またその出来事から、どんなことが教えられるのでしょうか。
1.イスラエルの神は偶像の神々に優っている
「ペリシテ人は神の箱を奪って、それをエベン・エゼルからアシュドデに運んだ」(1)とあります。「それからペリシテ人は神の箱を取って、それをダゴンの宮に運び、ダゴンのかたわらに安置」(2)しました。ダゴンとは、ペリシテ人が拝んでいた偶像で、上半身は人、下半身は魚という男の人魚のような姿をしていました。ペリシテ人は、イスラエルとの戦いに勝利した時、自分たちの神ダゴンがイスラエルの神に勝利したと考えたのです。そこで、ペリシテ人は、契約の箱を戦利品としてダゴンにささげたのです。
ところが、「アシュドデの人たちが、翌日、朝早く起きて見ると、ダゴンは主の箱の前に、地にうつぶせになって倒れて」(3)いました。ダゴンと契約の箱が並べて安置されていたのに、ダゴンだけが倒れていたということは、イスラエルの神の方が強いことを示しています。また「主の箱の前に、地にうつぶせになって倒れていた」という姿勢は、主人の前で奴隷が、王の前で家来が、神の前で礼拝者がとる姿勢です。つまり、ペリシテ人の神ダゴンが、イスラエルの神の前でひれ伏していたのです。
これに驚いたペリシテ人は、「ダゴンを取り、それをもとの所に戻し」(3)ました。つまりダゴンは、自分で起き上がり動けず、人の助けが必要だったのです。「次の日、朝早く彼らが起きて見ると、やはり、ダゴンは主の箱の前に、地にうつぶせになって倒れて」(4)いました。さらに、何と「ダゴンの頭と両手は切り離されて敷居のところにあり、ダゴンの胴体だけが、そこに残っていた」(4)のです。これは、人の手で造られた偶像の無力さと、イスラエルの神の優越性を示しています。
偶像の神がどんなに立派に見えても、それはただの造り物でしかありません。偶像は、見ることも、聞くことも、話すことも、手足を動かすことも出来ません。偶像は、人間を救うことは出来ず、人間がその偶像を守らなければならないのです。そんな無力な偶像に祈ったり、頼ったりしても、何の助けにもなりません。(詩115:4-8、イザ44:9,15-17、46:6-7)。聖書が示す神は、霊的な存在ですので、私たちの肉眼では見えませんが、全宇宙を造り、全てを支配なさっている偉大な神です。他に並ぶものはありません(エレ10:6)。
2.神ご自身が戦われるる
「さらに主の手はアシュドデの人たちの上に重くのしかかり、アシュドデとその地域の人々とを腫物で打って脅かし」(6)ました。「主の手」が「重くのしかかり」とは、その災いが神の裁きであったことを表しています。主は、ダゴンに対して裁きを下しただけではなく、ペリシテ人にも裁きを下されたのです。その裁きは「腫物」による災いでしたが、どのような病気であったかは分かりません。
アシュドデの人々は、「腫物」による災いがイスラエルの神によるものであることを認め、「イスラエルの神の箱を、私たちのもとにとどめておいてはならない」(7)と考えました。そこで、彼らは「イスラエルの神の箱をガテに移し」(8)ました。しかし「それがガテに移されて後、主の手はこの町に下り、非常な大恐慌を引き起こし、この町の人々を、上の者も下の者もみな打ったので、彼らに腫物ができた」(9)のです。そのため、ガテの人々は「神の箱をエクロンに」(10)送ることにました。その頃までには、契約の箱によってもたらされた災いがウワサになっていました。そこで、契約の箱が自分たちの所に運び込まれるのを見て、「エクロンの人たちは大声で叫んで」(10)言いました。「私たちのところにイスラエルの神の箱を回して、私たちと、この民を殺すのか。」(10) エクロンの人々は、契約の箱が来るのを拒みました。ペリシテ人のどの町々の人々も死の恐怖におびえるようになりました。そこで、彼らは、「イスラエルの神の箱を送って、もとの所に戻っていただきましょう」(11)と、契約の箱をイスラエルの元の所に戻すことにしました。
ペリシテ人は、自分たちの神ダゴンがイスラエルの神に勝利したのだと思いました。確かに、ペリシテ人は、戦争でイスラエルに勝つことが出来ましたが、イスラエルの神に勝利したわけではなかったのです。イスラエルの神が敗北したのではなく、神はペリシテと戦い、勝利されたのです。イスラエルの民が紅海の手前でエジプト軍に負い迫られている時、モーセは言いました。「恐れてはいけない。しっかりとって、きょう、あなたがたのために行われる主の救いを見なさい。…主があなたがたのために戦われる。あなたがたは黙っていなければならない。」(出15:13-14)
神は、ペリシテ人に対して、ご自分のことを証しされました。神ご自身がペリシテ人にご自分の存在と力をはっきり示されたのです。ペリシテ人は、自分たちが信じる神ダゴンよりも、イスラエルの神の方が、はるかに偉大なお方であることが分かりました。ダゴンに勝利があったかのように見えても、ダゴンは人間が造り出した偶像にすぎません。偶像は、倒れたら、人間が起こしてあげなければ、起き上がることも出来ません。しかし、万物を創られた神は、決して倒れることなく、倒れた者を起こして下さいます。神は、私たちのために戦って下さるお方です。私たちは、空しい偶像の神々ではなく、天地の造り主であられる真の神だけを見上げ、求め、この神に信頼していきましょう。