15.11.8.

一致…謙遜と柔和の限りを尽くし

エペソ4:1-3

一致を熱心に保ちなさい」はNIVでは「Make every effort to keep the unity」です。
すなわち、「一致を保つためにあらゆる努力をしなさい」です。
私たちは教会として一つとなるように自分の意志を傾け努力しなければならないのです。
2,3節には、一致のために努力しなければならないことが記されています。
すなわち、「謙遜」、「柔和」、「寛容」、「忍耐」、「平和」です。
今日は、「謙遜」、「柔和」について学びましょう。

1.謙遜 : へりくだって仕えるしもべとなる

「謙遜」とは「へりくだる」ことであり、
「しもべになる」、「仕える者となる」ということです。ピリピ1:1-8
しかし、「謙遜」、「へりくだる」、「しもべになる」、「仕える者となる」ということは、
私たちの生まれながらの性質、肉の性質に反するものです。
私たちは赤ん坊の時から自己中心で、自分のことだけしか考えず、
「仕える」ことよりも「仕えられる」ことを求めて生きているのです。
人間は、常に「自分の必要を満たしてくれるもの」を求めているのです。
しかし、聖書は「自分のことだけではなく、他の人のことも顧みなさい」と言っています。
自分のことを軽んじるという意味ではなく、自分のことばかり考えないということです。
自分のことで頭がいっぱいになっている限り、
へりくだり、仕えるしもべとなることは出来ません。
私たちが謙遜になり、へりくだり、しもべになり、
仕える者となるということの最高の模範はイエス様です。ピリピ2:5-7
イエス様は私たちを愛し、救うために、「ご自分を無にして、仕える者」となられたのです。
ヨハネ13:1-15。最後の晩餐の席で、誰も足を洗う役をしようとする者がいませんでした。
足を洗うのはしもべの役割であり、プライドの高い弟子たちにはそれは出来ませんでした。
その時、イエス様は「上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれ」、
「たらいに水を入れ、弟子たちの足を洗って」あげたのです。
イエス様は卑しい「しもべ」となり、人が嫌がる仕事を率先して行われました。
そして、イエス様は、私たちもその例にならうようにと言われました。ヨハネ13:14,15
イエス様は「仕えるため」、「自分のいのちを与えるために」来られました。マタイ20:26-28
イエス様がへりくだり、しもべとなって、仕える者となられたように。
私たちもへりくだり、しもべとなり、仕える者となりましょう。
へりくだることがなげば、一致することは出来ません。

2.柔和 : 怒ったり復讐したりせず主に委ねる

国語辞典には、「柔和」とは「性質・表情などがおだやかで、やさしいこと」とあります。
人に対して優しくて穏やかな人、いつもニコニコしている人、物腰が柔らかい人、
腹立たしいことがあっても顔に怒りを表さない人、感情的にカッとならない人と言えます。
ギリシヤ語では「柔和」は不当に抑圧された卑しい奴隷を表現する言葉です。
奴隷は、主人からののしられ、あざけられ、不当な扱いを受けても、
怒ったり、反撃したりせず、それを耐え忍び、受け止めなくてはなりません。
それは、人に対しても、怒りを抱かない状態を指すものとなりました。
ですから、「柔和」な人とは、どんなに危害を加えられても、誹謗されても、
怒ったりせず、復讐せず、かえってそれを受け留め、耐え忍ぶ人のことです。
聖書の中で、誰よりも「柔和」であったのは、モーセであったと言われています。民数12:3
モーセはミリアムとアロンから非難を受けても怒りませんでした。
また、イスラエルの民はモーセに不平不満を言ったり、モーセを批判したりしましたが、
モーセは40年間忍耐深く、不信仰で不従順で反逆的なイスラエルの民を導きました。
しかし、「柔和」の最高の模範はイエス様です。マタイ11:29、21:5
イエス様は、どんなに人々からののしられ、あざけられても、
怒ったりせず、言い返すことも、裁くこともありませんでした。Ⅰペテロ2:22,23
しかし、ただ我慢するのではなく、相手も、自分の思いも、神様の御手に委ねるのです。
イエス様も「正しくさばかれる方にお任せになりました」。
詩篇37篇には、悪者に対し怒らず、主を待ち望み全てを委ねるようにと言われています。
しばしば、私たちは怒りに燃え、相手に復讐の手を上げようとしてしまいますが、
神様の前にへりくだり、怒りや裁きを全て主に委ねるのです。ローマ12:17-21
人から悪く言われれば言い返したいですし、悪を行う者にはやり返したくなるものです。
私たちは、「相手が悪い、先に相手がこうしたから」だと自分を正当化します。
しかし、そのような時、私たちのために十字架にまで行かれたイエス様を見上げましょう。
聖書は、私たちが「柔和」であるようにと言っています。テトス3:2Ⅰペテロ3:4

聖書は「謙遜と柔和の限りを尽くし」なさいと言っています。
しかし、「謙遜と柔和」は、私たちの努力だけによって得られるものではありません。
聖霊の力と助けによって、私たちの内側に形作られていくのです。
ヤコブとヨハネは、イエス様の次の位に着けて欲しいと願い出ました。マタイ20:20-28
また、彼らはイエス様に「ボアネルゲ」、「雷の子」と名付けられていました。マルコ3:17
しかし、彼らは、ペンテコステ以後、聖霊に満たされて、造り変えられました。
特に、ヨハネは「愛の使徒」と呼ばれるほどに愛の人に変えられたのです。
聖霊は私たちを「栄光から栄光へと、主と同じかたちに」変えて下さるのです。Ⅱコリント3:18
私たちも聖霊によって、イエス様のように「謙遜と柔和」な人に変えていただきましょう。
聖霊の力と助けによって、私たちの内側に形作られていくのです。
ヤコブとヨハネは、イエス様の次の位に着けて欲しいと願い出ました。<strong>マタイ20:20-28</strong>。
また、彼らはイエス様に「ボアネルゲ」、「雷の子」と名付けられていました。<strong>マルコ3:17</strong>。
しかし、彼らは、ペンテコステ以後、聖霊に満たされて、造り変えられました。
特に、ヨハネは「愛の使徒」と呼ばれるほどに愛の人に変えられたのです。
聖霊は私たちを「栄光から栄光へと、主と同じかたちに」変えて下さるのです。<strong>Ⅱコリント3:18</strong>。
私たちも聖霊によって、イエス様のように「謙遜と柔和」な人に変えていただきましょう。

Filed under: 伊藤正登牧師