19.01.27

先月のメッセージでは、夫に愛されない悲しみの中、信仰が成長し、ついには夫に愛される最愛の妻となったレアの信仰を学びました。そこで今回は、最悪の状況の中でも成功を収めていくヨセフの信仰を学びましょう。

1.最悪の状況でも神様と共に歩む人は幸せになる

ヨセフは父ヤコブに愛され、仲良し父子でした。ある日ヨセフは悪い兄たちによって穴に落とされ、商人に売りとばされてしまいました。そして、ポティファルというエジプトの役人の家で奴隷として働くことになってしまいました。しかし、ヨセフには神様が共におられたので、このような悲惨な状況でも、何をやってもうまくいき、その家の主人に大変信頼されるようになりました。それは神様が共におられたからです(創世記39:2-3)。

神様に祝福されている人はどんな困難にも守られ、乗り越え、繁栄するのです。神様が私たちの味方なら私たちは敵なしなのです(ローマ8:31)。

災いに会わないことが幸運なのではなくて、神様が共にあることが幸運なのであり、神様が共におられれば、どのような境遇になっても、幸せなのです。災いに遭うことが不幸なのではなくて、神様から離れてしまうことが不幸なのです。私たちは主から離れたら何もできないのです(ヨハネ15:5)。

2.どのようにしたら神様と共に歩めるか

ヨセフは辛い状況でも不平を言わず、ただ神様を信じて、与えられた場所で地道に誠実に行動し続けました。状況が最悪でもつぶやかず誠実に歩むことが大切です。

なぜ不平を言わずに歩むことができたのでしょう。恐らく、このような苦しいことも神様の御計画のうちなのだと受け入れたのでしょう。父のもとを離れたのは神様と共に生きることを学ぶためかもしれないと思ったのかもしれません。こうして神様を疑わずに信頼し、つぶやきませんでした。どんな境遇でもつぶやかずに行動する人は祝福され世の光として輝くのです(ピリピ2:14-16詩篇37:3-4)。

私たちの人生は楽しいことばかりではなく、反って辛いともあります。しかし、そのつらい状況の中、神様を信頼して歩むことや誠実に歩むことを学び、私たちの信仰は成長するのです(ローマ5:3-5ルカ9:23)。

3.神様と共に歩むなら信仰が試される

ある日、ポティファルの奥さんに誘惑されました。この誘惑は、神様と共に生きていくのか、それとも欲望を満たすことを求めて生きていくのかを選択するものでした。こうしてヨセフの信仰が試されたのです。

神様と共に生きる道は辛いこともあるかもしれませんが、何をするにも守られ、成功し、幸せになるのです。しかし、欲望の満たしを求める道は一時的な喜びを求めているだけであり、やがて滅びてしまうのです。

ヨセフは誘惑にまけず、神様の前に正しい行動をとりました。このことでポティファルの奥さんの嘘によって犯罪人とされ、エジプトの監獄に入れられることになってしまい、状況は最悪でしたが、ヨセフは不平を言わず、神様を信頼し、与えられた場所で誠実に歩みました。神様がヨセフと共にいてくださったので、彼は何をしてもうまくいき、監獄の長からも信頼され、すべての囚人を任せられるようになりました。

ヨセフは何度もひどい目に遭いましたが、神様を信頼し、不平を言わずに、誠実に歩みました。ですから神様がヨセフと共におられ、何をするにも成功させてくださったのです。私たちもどんな状況でも不平を言わず、神様を信頼して誠実に生きる者となりましょう。そのとき私たちの人生は祝福され、人生の勝利者となるのです。

Filed under: 柴田晃伝道師