16.1.17.

主の御心を求め御声に従う

マタイ6:10

「主の祈り」は、私たちの祈りの基本であり、模範です。
また、私たちクリスチャンの生き方を示すものでもあります。
すなわち、私たちが第一に求めるべきことは、「御名があがめられること」、
「御国が来ること」、「御心が行われること」であり、
自分の必要が満たされたり、問題が解決されることではありません。

イエス様は「御心が…行われますように」祈りなさいと教えられました。
しかし、世の中の多くの人々は、祈りは「自分の思いや願いを叶えるためのもの」と考え、
神様のことを「自分の思いや願いを実現させてくれる存在」と考えています。
クリスチャンの中にも、同じような考え方を持っていて、
自分の願いが実現されることだけを祈り求めている人たちが多いのではないでしょうか。
神様のことを、自分の思いや願いを実現してくれるロボットのように考えているのです。
そして、祈っても自分の思いや願いが実現されないと、
「なぜ祈りに答えてくれないのか」と神様に不平不満を言ったり、
「本当に神様はいるのか」と疑ったり、神様に対する信仰も捨ててしまったりするのです。
そのように、神様を自分のために利用する祈りは極めて利己的であり、人間中心です。
私たちは、自分でも気付かない内に、神様中心の信仰ではなく、
人間中心(自分中心)の信仰となってしまってはいないでしょうか。

人間中心の信仰は、聖書の中にも見られます。
エデンの園で、エバがサタンの化身である蛇から誘惑された言葉は、
「あなたの目は開かれ、神のようになり、賢くなれる」というものでした。創世3:5
つまり、それは自己実現を目指すことであり、人間中心の考え方でした。
また、人間は「自分たちの町を建て、天に届く塔を建て、
自分たちの名を上げよう」と言って、バベルの塔を建てました。創世11:4
これも結局は、自己実現のためであり、人間中心の考え方でした。
「主の祈り」とは全く正反対で、自分たちの名があがめられ、自分たちの国が建てられ、
自分たちの思いを実現させる企てだったのです。

人間中心の考え方は、ニューエイジの考え方でもあります。
ニューエイジは大きな霊的な存在と繋がることによって霊的精神的に自分を高めたり、
自分の内にある潜在能力を発揮することによって成功と繁栄をもたらそうします。
ニューエイジの考え方と聖書信仰の違いは、人間中心か神様中心か、
自己実現のためか神様の栄光を現すものか、ということです。

キリスト教はヨーロッパで発達したため、キリスト教の神学や伝統ややり方には、
西洋の価値観、考え方、文化などが影響を与えています。
その特徴は、合理主義、理性主義、個人主義であり、それらは人間中心主義と言えます。
「礼拝に来て下さい」、「一緒に賛美しましょう」、「奉仕や献金をお願いします」と言うと、
こう答える人がたまにいます。「なぜ私がそんなことをしなければならないのですか。
法律で信仰の自由は認められているのですから、強制しないで下さい。」
結局、その人にとって大切なことは、自分の権利を主張することであり、
神様と御言葉の権威の下にへりくだって従うことではないということです。
つまり、「神様に従いたくありません。私は私のやり方があります」ということです。
しばしば「自分のやり方で神様に従って下さい」、
「無理をしないでその気持ちになったらやって下さい」と語られることもあります。
あくまでも大切なのは、自分の考え、気持ち、権利、利益、都合なのです。
知らず知らずの内に、キリスト教界、教会、自分自身の中に、
そのような人間中心(自分中心)の考え方が入って来てはいないでしょうか。

イエス様は「主の祈り」の中で、自分の思いや願いが実現することではなく、
主の御心が実現するように祈るようにと教えられました。
なぜなら、神様に造られた被造物であり、神様の権威の下にある私たちは、
神様の御前にへりくだり、神様の御心に従わなくてはらないからです。詩篇100:3
また、神様は私たちよりも遥かに高い視点から物事を見ておられ、
物事を時間や場所を超越した最善へと導いておられるからです。イザヤ55:8,9

私たちが主の御心に従って歩むためには、主の語りかけを聞かなくてはなりません。
祈りは、ただ一方的に話しかけることではなく、半分は聞くことです。
私たちは主の語りかけに導かれて生きるのです。マタイ4:4
礼拝で語られるメッセージの中から、直接的に個人的に語り掛けられる
神様からのメッセージを受け取らなくてはなりません。
また、日々聖書を読みながら、神様の御前に出て、神様からの語りかけを聞くのです。
神様のかたりかけを聞かないと、神様の御心に従って生きて行くよりも、
自分の考えや感情や欲望、また状況に従ってしまい、霊的に敗北してしまいます。
自分の考え方、言葉、生き方を、自分の願いや欲望に合わせるのではなく、
神様の御心に合わせ、それを行うのです。それは生き方の変化を伴います。
「イエス様だったらどうするだろうか」ということを考え、それを行うのです。

自分の思いや願いに固執し、それが実現することだけを祈り求めるのではなく、
「私の思いではなく、ただあなたの御心が行われますように」と、
主の御心が実現することを祈る者となりましょう。
また、「あなたが語られることには何でも従います」という心の姿勢をもって、
主が語りかける御声に耳を傾けましょう。
そして、そして、たとえ自分の願いと違っていても、理解出来ないことでも、
犠牲を伴うことでも、都合の悪いことでも、主の御心に従いましょう。Cf.ヨハネ13:7